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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

人にやさしく自分にもやさしく

   

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郷田九段、名人奪取に王手

久しぶりに将棋の話題です。

<第67期名人戦七番勝負>は、第5局を郷田九段が制して3勝2敗とし、名人奪取に王手をかけました。

郷田九段は、これまで何度か名人戦にも登場しておりますが、いずれも奪取とならず今回初めてのチャンスとなりました。一方の受けて立つ羽生名人は、どうも調子がいま一つなのではなかろうかという印象と、もしくはなにか研究を深めているのかと思える指し手が多いようにも感じます。ま、もちろん素人目ではありますが。

特に、以下の局面・・・



このあと羽生名人は△4四角と打ち、2六の飛車取りと8八角成の両狙いを見せるのですが、次に郷田九段が指した手は▲2四飛。これは中級者にもわかる切り返しの手だと思うのですが羽生名人が読んでいなかったということはないと思うんですけど。

で、それに対して△3三桂なのですが、これが素人のワタクシにはさっぱり意味不明な手であります。でもって、次の郷田九段の▲5五角がスゴい手です。これは羽生名人も読んでいなかったのでしょうか。なのでいっそのこと、△3三桂のところは、強く△8八飛成なんて手もあったんじゃなかったのかなぁと、思うわけです。

羽生名人らしくない対局だなーと思いましたが、でもやっぱ、郷田九段が強さを出し切った対局だったのかもしれませんね。

ともかく、角番となった羽生名人、6/15の第6局で挽回して最終第7局まで持ち込むことができるのか、はたまた郷田九段が逃げ切って初の名人奪取となるのか、目が離せなくなりました。

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菩薩について

駅前やデパートの前などでユニセフなどの街頭募金に立っている人をよく見かけます。あるいは、神社やお寺の境内などで清掃奉仕をされている方も見かけます。また、私自身もそうした奉仕活動を何度も体験したこともありますし、奨励する思いもあります。

さて、そもそも奉仕とは何かということを考えてみたとき、まず、辞書等で調べると以下のように記載されています。

『身を削って他者のために働き尽くすこと。報酬を求めず、また他の見返りを要求することなく無私の労働を行うこと。』

たしかに尊い行為であります。その行為をしているときの意識を掘り下げてみると「人の役に立つことが好きだから、うれしいから」という意識が一つあるようです。ところが、一歩間違えると「してやっている」という意識にもなりかねません。そういう意識になると、奉仕も「やらなければならない」という意識に発展し、いろんな人に強制するようなことにもつながってしまいます。

一方、仏教には、仏の次の位として菩薩という役割の人が登場します。文殊菩薩、普賢菩薩、観世音菩薩、勢至菩薩などと呼ばれる方々がそれで、菩薩像などにも彫刻されています。菩薩というのは、まさに奉仕の精神で他者のために尽くす人でありますが、なんのためにするのかというと仏になるためであります。つまり、自分自身が仏になるための修行として他者のために尽くすのです。

ですから、菩薩の意識は、自分が尽くす行為ができるのは、その対象となる人がいるお陰であり、感謝の対象となります。「してやっている」などという気持ちは微塵もなく「させて頂いて有難うございます」となります。

無私の労働とはたいへん尊い行為でありますが、無私を超越した「させて頂いて有難うございます」という菩薩の行為はさらに尊いものといえると思います。では、なぜそこまでできるのかというと、菩薩には「私も修行次第で仏になれる!」という確信があるからです。

仏になれる自覚を強く持てるよう精進したいと思います。

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大沼えり子さん

先日、素晴らしい方と出会いました。その方は、シンガーソングライター、ドキュメンタリー著者、ラジオのDJ、割烹の若女将、そしてさらに保護司をつとめながら、二児の母であり、ご主人に仕えて主婦業もキチンとこなし、姑である女将さんからの信頼も厚いウルトラ・スーパー・エクセレント・ワンダフル・パーフェクト(・・・あと、褒め言葉はなんでも^^;)ウーマン、大沼えり子さんです。

下記は、私も読ませて頂いた大沼さんの著書です。



また、大沼さんが代表をつとめておられるNPO法人、RosyBell(ロージーベル)のサイトは<こちら>

それと、大沼さんのプロフィールが紹介されている、JVCエンターテインメントのサイトは<こちら>

まあとにかく、冒頭にも書かせて頂いた通り「こんな人が実在したのか!」と久しぶりに思わせられた方でありました。お会いする前、写真でお顔を拝見したときは、いわゆるインテリで性格がキツくて教育ママ(大沼さん、すみません;)のような印象でしたが、実際にお会いして会話をしてみると、明るくて気さくで早口で(早口は余計でしたか^^;)楽しい話をポンポン飛び出させる、とても温かい方でありました。

NPO法人<ロージーベル>を設立され、更生すべき・されるべき、また更生を目標に頑張っている少年達にターゲットを絞り、具体的に直接手を差し伸べようと決意されるわけですが、そのきっかけをお聞きしたときは、なにか宿命的なものすら感じ、大きな役目を担ってこの世につかわされた方なのではなかろうかとも思いました。

少年の更生・・・狭い分野の印象もありますが、とりあえず上記の著書は、元気や勇気を与えてもらえます。ぜひ多くの人にも読んでいただきたい。そして、大沼さんの活動に賛同される方が一人でも増えてくれることを願うものです。

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生かされ育てて頂いている

大型GWを挟んでだいぶ間が空いてしまいました。約2週間ぶりの更新です。

仏教の根本思想に、私たちの命は仏(=真理、法則)に生かされている、というものがあり、このことは何度も書かせて頂いております。「生かされている」ということはなんとなく分かったつもりになっていましたが、意外に抽象的な言葉であったことにも気付かされました。これをより具体的にいうならば「育てて頂いている」ということだ、ということを最近学ばせて頂きました。

私たちには必ず両親がいます。中には、実の両親の顔を知らないという人もいるかもしれませんが、それでも血のつながったお父さんとお母さんが一人ずついる(いた)ということは紛れも無い事実であります。両親の両親、そのまた両親とどんどんさかのぼっていった大勢の親のことを先祖というのは一般常識でありますが、さらに無限の過去までさかのぼっていったときに、最終的にたどりつくのが神仏ということです。これはあらゆる宗教の根本思想であり、万教同根(ばんきょうどうこん:全ての宗教の根っこは同じ)といわれるゆえんであり、宗教というカテゴリのみならず、科学的にも疑いようがありません。

つまり、今現在の私があるのは、一人ひとり親(育ての親も含めて)に育てられた結果であり、親はそのまた親に育てられという具合にどこまでもたどることができ、すべては命の元である神仏から育てられているということであります。(もちろん、親以外の周囲からの支えも頂いておりますが、基本的にという意味で。)

ときには優しく、ときには試練を与えられることもあります。やさしさと厳しさの両方が必要であり、一つひとつクリアしていくことが成長であるといえます。

こういう見方をすれば、現在の世界の脅威となっている新型インフルエンザは、神仏が人類に与えた試練であるとも受け取れます。もちろん、直近の具体策を講じることは重要なことであり、それもこれも人類全体が成長する糧であるともいえるわけです。間違っても、なにかの祟りだなどと考える必要は全くありません。

親は子が立派に成長してくれることを望んでおり、子から見れば立派に成長することが育てて頂いていることへの恩返しであります。

どんな問題にも冷静にかつ力強く取り組む心構え・姿勢が大事だと思います。

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沖縄平和学習会(下見)

沖縄へ行って参りました。
慰霊碑供養を中心とした平和学習会の下見でありまして、たくさん撮った写真の中からほんの一部を掲載させて頂きます。

平和記念堂と資料館↓   平和の礎(いしじ)↓  旧海軍司令部豪の丘から見た那覇の町↓
    

太平洋戦争での<沖縄戦>の悲惨さは周知の事実でありますが、旧海軍の大田司令官が海軍次官に送った<電文>のことは、恥ずかしながらいままで知りませんでした。

要は、沖縄の防衛力はもう限界だから降伏しましょう、という内容です。この電文は1945年の6月6日に打電されたそうなので、軍はこれを真摯に受け止め、この時点で敗戦を認めていれば、広島、長崎の原爆投下も免れていたかもしれないわけです。

しかし、戦時中の日本国民の異常な思想もあり、そう簡単に降伏できなかった事情もあったのでしょうけれども、逆に、負けを認めた大田司令官の勇気には深い敬意を表したい思いです。打電したあと、大田司令官は自決されました。

とにもかくにも、どんな理由があろうとも人間同士が殺し合う戦争は、今後二度と起こしてはならないと痛感させられた学習会でありました。

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一切衆生悉有仏性

大乗経典の一つ『大般涅槃経』というお経に、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう」ということが説かれています。この意味は「一切の生きとし生けるものは、ことごとく仏性(仏の性質)を有している。」ということです。

さて、私は長いこと「仏性を有している」という言い方について、ちょっと勘違いしていたことに気付きました。それは、あるモノの中のどこかに仏性というものが存在していると解釈し、無意識のうちに、仏性が存在していないモノがある、と思っていたのであります。

また、「衆生」とは「生きとし生けるもの」という意味ですが、これはどうやら動植物ばかりでなく、水や空気や土や石も含まれているようです。

つまり「一切衆生悉有仏性」をそのまま解釈すると「あらゆるものは仏性だ!」ということになります。

物質の究極はクォークであるとされていますが、クォークという「モノ」が存在するならば、クォークを構成する、より小さい「モノ」が存在するハズであって、現代の物理学では、現時点ではここが限界であり、クォークより小さいものは「エネルギー」としか表現しようがないのだそうです。

物質=エネルギーとは、アインシュタインの相対性理論でも述べられていることですが、あえてエネルギー=仏性と考えると、「あらゆるものは仏性だ!」と悟られたお釈迦様ってほんとにスゴい方だと思わせられます。

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おくりびと



私の中では、いままで観た映画の中で間違いなくNo.1です!アカデミー賞受賞というハクを鵜呑みにしてハードルを上げ、もし予想以下の映画だったらどうしよう・・などという不安も多少ありましたが、思い切ってDVDを買って正解でした。ダテじゃありません。

「人間の死亡率は100%」とは、綾小路きみまろさんの受け売りですが、現実には100%に近い人が、死んだら納棺という儀式を通り抜けて火葬場へ運ばれるわけで、ある一つの葬式をとってみても、そこにはさまざまな儀式があり、その中の一つとしての納棺師のシゴトには、死者を弔う儀式の真骨頂を見せてもらえた思いです。

また、納棺の儀式を通して、さまざまな家族模様がとても丁寧に描かれていて、そのいろんな姿を見ているだけで「ちゃんと生きよう・・。」という思いにならせてもらえます。

「死を見つめることは生を見つめること」
「生きていること、それだけで有り難い」
「死者は生者に感謝の念を起こさせる」
以上は、どこかで聞いたことのある言葉のようですが、素直に正直に私の心に浮かんできた言葉です。

笑いあり、涙あり、感動ありという映画は山ほどありますが、それに加えて感謝ありという映画はそう多くはないのではないでしょうか。そしてその中でも間違いなくNo.1といえる映画です。ぜひ大勢の人に観て頂きたい!

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ちょっと気になって・・・

法滅時代のことがちょっと気になって、いろいろ調べてみましたところ、以下のサイトを見つけました(勉強不足でした)。↓

<釈尊と仏教>

大方等大集月蔵経(大集経の中の一部)の法滅盡品という章があり、その中で、正法(正しい仏教)が消えたあと、やがてさまざまな天変地異、災害、殺戮などの人災が起きるというような、お釈迦様が予言されたとされることが記述されていますが、それはまさしく末法のことを示しています。

つまり、法滅というのは、正しい法が滅するという意味で、末法のことを示唆しているわけです。

末法とはまさに現代のことで、さまざまな天災、地災、人災をほとんど毎日ニュース等で見聞きする、今のこの世の中であります。そして、大涅槃経では、56億7000万年後に弥勒仏という方がお出になられて、新たな正法時代を迎えるとされていますが、そんな先のことを想像しても、今の私たちにはなんの意味もないことであります。

お釈迦様は、この末法の世がおとずれることを予想されて、大乗経典、特に法華経を遺されたとされています。要するに、次の正法を迎えるまでの56億7000万年間は、大乗経典に基づいて修行しなさい、というのが一つの仏教の捉え方でもあるわけです。

いろいろ勉強させていただけて有り難い思いでありますが、なにはともあれ、正しくよりよく生きるための方法を学び、実践し、そういう人を増やしていくことが世の中全体をよくしていくことであり、そのことが最優先時であることに変わりはありません。

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真理・法則は永久不滅

<レムナント出版(キリスト教書籍・雑誌)>というサイトを見つけ、興味深く読ませて頂きました。キリスト教も素晴らしい教えであると思っておりますが、この中で大変な間違いを一つ見つけましたので指摘させて頂きます。以下のページです↓

<仏教の「末法」キリスト教の「終末」>

この中で、末法時代が10,000年続いたあと、法滅時代(仏教の教えそのものが無くなる)がやってくるという記述があり、従って、仏教では救われないというニュアンスの導入になっています。

仏教の根本的な教えは「諸行無常(全てのものは変化する)」と「諸法無我(全てのものは関係しあっている)」という宇宙の真理・法則であり、この真理を有効活用しましょう、というものです。

法則でありますから、三角形の内角の和は180度である、ということと同様に、永久に無くなるものではありません。

変化することが真理でありますから、真理に基いた教義が、時代と共に変わっていったり、薄れていったりすることは当然のことであり、そのことを法滅時代と表現したのではないかと想像しますが、字面通り「法」が「滅」すると解釈すると、それはとんでもない間違いになります。正法時代、像法時代、末法時代は経典にも記載されている思想ですが、そもそも法滅時代という言葉はどこから出てきたのでしょうか?
(ちなみに、今現在は、仏教では末法時代とされています。この末法時代がくることをお釈迦様は予想されて、のちに活字になる教え・経典を遺したとされています。)

それと、以下のページにも疑問があります↓

<仏教の「修行」キリスト教の「贖い」>

仏教では、仏になるために1兆×10の61乗年修行しなければならない、と記述されていますが、たしかに、経典にはそのような意味に相当する記述があります。これは誤解されやすいところなのですが、大事なのは、それだけの長期間、修行しようという気持ちが起きるのは「自分は仏の子なんだ!自分も仏になれる!」と喜び、確信できるからであり、確信した人は既に「仏」であるわけです。つまり、仏が仏になる修行をするのですから当たり前のことです。

犬や猫の子が人間になろうと努力してもなれるわけはなく、そんな努力をしようとすら考えもしないでしょうし、仮にそんな努力をさせられようとしたならば、それはそれはとてつもない苦痛が伴うのではないでしょうか。

「信じるものは救われる」とはキリスト教に代表される、主に西洋の一神教の思想ですが、逆にいえば「信じないものは救われない」ということです。ですが仏教が説くところは、あらゆるものは真理に生かされているので、信じようが信じまいがすでに救われており、そのことに気付けばよいのだよと、ただそれだけのことなのです。

宗教とは、人間として正しい生き方・よりよい生き方を教えるものでありますから、ぶっちゃけ、どんな宗教でも、正しい宗教ならばなんでもいいよ、ということまで仏教では説いています。正しい生き方・よりよい生き方を求め、人にもお奨めできるよう学んでまいりたいと思います。

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先見力を養うには

今日もイイ話を聞いたのでメモしておきます。

「窮すれば通ず」ということわざがあります。これは「行き詰まってどうにもならなくなったときにこそ、ふと打開策が見つかる。」という意味です。

実例として、ニュートンは木からリンゴが落ちるのを見て万有引力の法則を発見したそうですが、まさに、「窮して道が開けた」出来事だったという解説を聞いたことがあります。ニュートンは、太陽を回る惑星がどうして太陽から離れていかずに回っていられるのかをずーーっと考えていたところに、リンゴがポトッと地面に落ちるのを見てハッと気づいた、というんです。つまり、何も考えずボーっとしていたのではハッと気づけるということはなく、継続して努力することが大事であるという教訓とも受け取れます。

ところで、この「窮すれば通ず」ということわざ、これは儒教の中の五経の一つ、易経に記されている「窮すれば則ち変ず、変ずれば則ち通ず、通ずれば則ち久し」が元になっているのだそうです。これは「窮→変→通→窮→変→通→・・・という繰り返しが永久に続いていく。」ということだそうです。

こういうことは、日常生活の中で誰しも経験していることではないでしょうか。うまくいってるなーと思ってもいずれ行き詰まり、そこでどうにか打開できたり、問題解決できたりして再びうまくいって軌道に乗りますが、いずれまた行き詰まる、といったような。これはいわば、人生そのもののことをいっているとも受け取れます。

仏教でも、無量義経の説法品というお経に「生住異滅」ということが説かれていますが、これは、なにか物事が生じると(生)、ある期間その状態が保たれますが(住)、そのうち状況が変化し(異)、やがて消滅していき(滅)、再び生じ(生)、このことを永遠に繰り返す、ということで、このお経の解説には、これが宇宙の真理・法則であると説かれています。

どんなにうまくいっていても、逆にどん底の状態であったとしても、その状態が永久に続くことはないと悟り、有頂天になったり、落胆したりということをほどほどにすることが、次の変化を冷静に読むことができるようになる=先見力を養う秘訣であるように思います。

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がんばろう!○○



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「実生活に生かせる仏教の追求」をメインテーマとしていますが、趣味の将棋や、その他、時事に絡んだ雑感などなど、気が向いたときに綴っております。どうぞ、おヒマなときに覗いてみてください。
2019年12月より山形県鶴岡市在住。
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