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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

人にやさしく自分にもやさしく

   

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第59期王将戦

<第59期王将戦七番勝負>が始まりました。羽生王将に対する挑戦者は久保棋王であり、現在第2局を終え、1勝1敗の五分であります。久保棋王は、現在のタイトル保持者の中で唯一の振り飛車党の棋士であり、個人的にも応援している一人でありますが、以前から羽生四冠のファンでもある私にとっては少々複雑な思いで観戦しています。

特に第2局は、先手が羽生王将、後手が久保棋王となり、羽生王将の居飛車に久保棋王はゴキゲン中飛車で対抗されましたが、ヒジョーに惜しいところで羽生王将に軍配が上がりました。

ただ、途中、中段に銀2枚を立て続けに打った局面は、あからさまな力戦と思われ、「さばきのアーティスト」の異名を持つ久保棋王らしくないなーとは感じました。

しかし、第1局、久保棋王先手の三間飛車は見ごたえがありました。「羽生マジックか?!」と思わせられた羽生王将の妙手もありましたが、久保棋王にとってはうまくピンチを切り抜け、勝利をもぎとった1局だったと思います。

勝ち負けはあまり考えず、1ファンとしては、トッププロの居飛車vs振り飛車を楽しく観戦したいと思います。

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世界がぜんたい幸福にならないうちは・・・

<農民芸術概論綱要>というのをご存知でしょうか。これを聞いてピンとくる人は、相当な宮沢賢治フリークといえる人だと思います。ですが、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というフレーズを聞けば、ほとんどの方がご存知であろうと思います。このフレーズは、農民芸術概論綱要の序論のところに記述されています。

さて、この「世界がぜんたい・・・」という部分ですが、なぜ「世界 ぜんたい 」でなくて「世界  ぜんたい」になっているかというところがポイントです。

「世界 ぜんたい 」と言う場合は、バラバラになっている一つ一つの世界を全部まとめた全体という意味合いに感じられますが、「世界  ぜんたい」と言うと、元々一つしかない大きな世界、その世界全体という意味合いに感じられます。つまり、法華経に傾注していた宮沢賢治は、世界=地球(もっといえば宇宙)を法華経観に基づいたかけがえのないたった一つとして捉えていたのだ、というのです。

以上のような解説をしているサイトをあちこちで拝見し、なるほどなーと思わせられましたが、どうも理屈っぽい感じも否めません。

世界とは元々たった一つであるという前提に基づくならば、わざわざ「ぜんたい」という必要はないような気がします。そこで、この農民芸術概論綱要をざっと読んでみてふと思ったのは、「ぜんたい」というのは、「いったいぜんたい」などというときの「ぜんたい」の意味ではなかろうかということです。

「いったいぜんたいどうなってるんだ!?」などというときの「ぜんたい」です。つまり、「ぜんたい」とは、「そもそも」とか「なにしろ」とか「とにかく」という意味なのではなかろうかということです。

本サイトの冒頭紹介にも書かせて頂いているとおり、釈尊は、あらゆるものが仏性を具え、光輝いているということを悟られたわけですが、要するに、世界中の一人残らず、一人一人がこの釈尊の悟りに達することこそが、世界平和であり、個人のほんとうの幸福であるという受け止め方ができると思われます。

そのためには、多くの思想、哲学、宗教が存在するこの世界においては、否定でなく肯定、排他でなく協力というやり方が重要になってくるのではないでしょうか。

まずは、一人一人自らが、自分の尊さに気づく、またそういう人を増やすはたらきかけを実践していくことが大事なことであると思います。

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ARMS DOWN! キャンペーンの紹介

今回は、「ARMS DOWN! 共にすべてのいのちを守るためのキャンペーン」について紹介させていただきます。詳細は、下記バナーのリンクをご参照ください。

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本ブログの右側の「トピックス」にも同じバナー&リンクを貼っております。

このキャンペーンは、<WCRP>(World Conference of Religions for Peace:世界宗教者平和会議。日本委員会のサイトは<こちら>)が主催しています。

ARMSとは武器もしくは武器を持った手を意味し、DOWNはそのまま「下げる」の意味ですので、ARMS DOWN! とは、「武器を捨てよ!」という、比較的強い言い回しの意味になるのだそうです。

2008年の世界全体の軍事費は、なんと140兆円にもなるそうで、年々増加の一途をたどっているということで、その1割の14兆円を削減できれば、その分を飢餓や貧困に苦しむ国の人びとの援助に賄うことで、全て救うことができるのだそうです。

仏教では、一切衆生の成仏(一人ひとりが仏になること)を究極目標として掲げていますが、その具現化は、とりもなおさず世界平和ということです。そのための一つの施策として、人を殺戮するための、核兵器を始めとするさまざまな武器を減らそう、無くそうということは、誰もが考えつくことであるといえると思います。

この「ARMS DOWN! 共にすべてのいのちを守るためのキャンペーン」のサイトでは、Web上にて署名をすることができるようになっていますので、ぜひ多くの人に賛同、協力を呼びかけたいと思います。ちなみに、全世界での署名目標は、今年1年で5,000万人だそうです。

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占いごとはツール

西暦2010年、平成22年最初の書き込みです。なお、喪中でありますので、新年のあいさつはエンリョさせて頂きます。

さて、今年の干支(えと)は「庚寅(かのえとら)」です。干支を聞かれて、「トラ年です」とはほとんどの方が答えられると思いますが、干支とは、正確には十干(じっかん)と十二支(じゅうにし)のことなので、「干支は?」と聞かれたら、「庚寅です」と答えるのが正解となります。

そもそも十干とか十二支って何?という話をしたらどんどんキリがなくなりますが、簡単に言えば、十干は五行説(木、火、土、金、水)と陰陽道(陽と陰、プラスとマイナス、兄と弟・・など)が合わさってできたもの、十二支は方位を表わすものであり、いずれも古代中国の、いわば統計に基づく暦占いのようなものといっていいのではないかと思います。

このへんまでは、たいていの方がご存知と思われますが、同じく古代中国から伝わる、方位や性質を表わすものとして「九星(きゅうせい)」というのがあることを知っている人はだいぶ減ると思われます。九星気学とか、たんに気学といわれたりするもので、年回り以外に、月にも時刻にも当てはめられています。

九星でいうと、今年は八白土星(はっぱくどせい)であり、八白には変革とか改革という意味があり、さまざまな業界で変革がもたらされる年になるといわれます。ちなみに、昨年の2009年は九紫火星(きゅうしかせい)であり、九紫には離別、明らかなどの意味があり、その意味では、政界では自民党が与党から離れたり、芸能界では薬物使用で逮捕者がでるなど、秘密にしていたことが明らかになったりということがあった年だったといえそうです。

ちなみに、五黄土星(ごおうどせい)は地震、破壊、生成、消滅という意味があり、近年では、2004年の新潟県中越地震やスマトラ沖地震、1995年の阪神・淡路大震災はいずれも五黄の年であります。かといって五黄の年に必ず大地震が起きているかというと必ずしもそうなっていませんが、五黄の年を中心にして前後年あたりに、震度6クラスの大きな地震が起きているのは事実のようです。

このように書くと脅しともとられそうですが、脅しなどでは決してなく、逆に、九星をうまく利用・活用して、将来への備えを万全にしましょうというのが目的であります。

ここまで書いてきておいてなんですが、私はあまり占いのたぐいにはとらわれず、本道はあくまで、真実の道理・真理を説く仏教を究めることと考えておりますので、干支や九星は、そのための一つのツールとして少しは学び、用いてまいりたいと思います。

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お辞儀の意義

12月も、いつのまにか半ばになり、今月が「年度始め」となる弊社の慌しさもだいぶ和らいできたところですが、これから年末年始に向けて再びバタバタしてきそうなところであります。

そんな中、また最近聞いた話の中から印象に残ったものを記しておきたいと思います。

さて、お辞儀はどういうときに、どんな目的でするものでしょうか?バカな質問と思われるかもしれませんが、このお辞儀には深い意義があるというのです。普段、私たちは、人に会ったときに「おはようございます」「こんにちは」といった言葉とともにお辞儀をします。また、廊下等で目上の人や外部の方とすれちがうときなどもお辞儀をすると思います。

お辞儀は、相手に対して敬意を表わす、相手を敬う意義があることは誰でもうなずかれることと思いますが、それは第二義なのだそうです。では、第一義はなにかというと、相手にお辞儀をするという行為を通して、自分自身を敬うのであるというのです。つまり、その人が自分自身をどれだけ敬い、尊んでいるかが、お辞儀の仕方に表われるということになるのです。

人は、他人から尊重されないと満足できない部分をもっていますが、それは、自分で自分を尊重できていないから、ということになります。仏教では「己の仏性を発見し、磨きあげていく」ことが修行であることを説いていますが、己の仏性を発見するとは、自分が尊い存在であるということを自覚することであります。そして、自分をほんとうの意味で尊べる人こそ、他人を尊び、大切にできるのである、ということも説かれます。

さて、ではどうすれば自分を尊ぶことができるのか。それは、私たちは自分の力のみで生きているのではなく、あらゆるものによって生かされているということに気づくことがまず必要ということです。では次に、生かされているという気づきはどうすれば得られるのかということになるわけですが、それは一番身近な両親に感謝ができること、ということになるようです。

直接的に自分に命を授けてくださったのは両親です。酒乱だろうが暴力をふるわれようが、もしくは自分は親に捨てられたという人でさえも、いまここに自分を存在させてくれたのは両親、その両親、そのまた両親とたどっていくところの先祖であることはまぎれもない事実です。

仏教では、あらゆる存在は、すべて必要あってのものと説いています。ならば、直接命を与えてくれた両親は、一番最初に感謝の対象となるわけです。

誕生日は、一つ年を重ねるおめでたい日でありますが、それ以上に、親に対して「生んでくれてありがとうございます」とお礼をいう日である、とも聞いたことがあります。

親に感謝し、自分を尊び、他人を尊べる修行をつづけてまいりたいと思います。

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渡辺明竜王強し!

またもやだいぶ間が開いてしまいました。

11月が年度末となる弊社は、今月はヒジョーに慌しく、ゆったりブログ更新する余裕もなくなっておりましたが、ようやく小康を得ました(?)ので、とりあえず近々のことを綴っておきたいと思います。

<第22期竜王戦七番勝負>は、なんとなんと、渡辺竜王が4連勝で防衛を果たしました。前期5連覇を達成して見事永世竜王の称号を獲得した氏ですが、さらに連覇を伸ばし、通算でも羽生四冠と並ぶ竜王6期在位ということになったワケです。

<順位戦>でも、現在B級1組の2位につけており、このまま順調にいけば、いよいよ来期はA級にも昇格しそうな勢いで、名実ともにトップ棋士といえることになります。

それにしても、ほんとに強い! 竜王戦第4局は、森内十八世名人を相手に、後手番にも関わらず、後手不利といわれる一手損角換わりの戦形を選択するあたりは、素人には想像もつかないような自信をもっておられるのではなかろうかと、そんな印象すら受けます。

羽生四冠を頂点とする、いわゆる羽生世代に切り込む若手の筆頭としても、渡辺竜王は今後の益々の活躍が楽しみな棋士であります。

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掃除の奨め

鍵山秀三郎さんという方をご存知でしょうか?このかたは、株式会社ローヤル(現イエローハット)の創業者で、<日本を美しくする会>というNPO法人の相談役を務めておられる方です。

鍵山氏の人となりについては、こちらをご覧になるとよくお分かり頂けると思います。
→ <鍵山秀三郎氏 「経営と人生 問答塾」>

鍵山氏は、イエローハットを創業する以前から、40年以上も掃除を、特にトイレ掃除を続けられているのだそうです。イエローハットの従業員さんですら、会社のトイレ掃除をしている人がまさか我が社の社長だとは気がつかなかったというエピソードもあります。

掃除というのは、いままでは単に汚れを取り除くこと、という認識しかありませんでしたが、どうもそれ以上に重大な役割というか効果があるようです。つまり、目に見える汚れを取り除くということと同時に、自分の心の汚れを取り除くものである、ということです。

特にトレイ掃除は、その効果は絶大で、トイレ掃除を続けることによってキレイとかキタナイという意識を超越し、食べ物の好き嫌いだけでなく、対人関係においても好きとか苦手という意識をなくすことができるというのです。

さらに、以前にも紹介したことのある<小林正観氏>は、著書の中で、トイレ掃除をすると金回りがよくなる、とおっしゃっておられます。これはさすがにそのメカニズムは分かりませんが、体験されておられる方が大勢いらっしゃることも事実のようです。

要するに、自分の心の汚れを取り除き、物に対して感謝の心を養うことを目的とする掃除ならば、汚れているから掃除をするという意識ではなく、毎日繰り返したんたんと行うものである、ということになります。

仏典に出てくるお釈迦様のお弟子さんでシュリハンドクという人がおられますが、この人はおつむのほうが少々弱く、自分の名前すら覚えられないという人でした。この人は、そんな自分が情けなくなり、こんな自分では仲間にも迷惑をかけるし、仏道修行を続けることはできないとお釈迦様に泣きながらうったえます。お釈迦様は、それならばということで、「塵を払わん、垢を除かん」という言葉だけを唱えながら毎日庭の掃除をするようにと指導したそうです。シュリハンドクは、この「塵を払わん、垢を除かん」を必死で覚え、くる日もくる日もその言葉を唱えながら掃除を続けたところ、ある日、「塵や垢というのは、実は自分の心の塵や垢のことであったのだ」ということに気付き、お釈迦様と同じ悟りを得ることができたのだそうです。

去年あたりから私自身も自宅のトイレ掃除は毎朝行っておりますが、たしかに気持ちがいいものです。10年も20年も、かつ楽しく有難くなれるよう続けていきたいと思います。

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仏の願い

私たちはよく、初詣などで神社・仏閣などにお参りに行き、いろんなお願いごとをします。受験合格、家内安全、無病息災、商売繁盛などなど。けっして間違っているわけではないのですが、もっと崇高なお参りの仕方というのがあるそうです。

お願いごとをするためにお参りにいくならまだしも、拝観料を払って、お堂や仏像・菩薩像などを見るためのたんなる観光として行くこともあるわけですが、いわゆる「見物」だけに終わってしまっては、これまた誠にもったいないことのようです。

仏や菩薩と呼ばれる方々は、皆それぞれ願いを持っておられます。簡単にいえば、人の悩み苦しみを取り除いてあげたい、幸せになってもらいたい、という願いです。特に、その頂点である仏の願いは何かというと、「人を仏にしたい」ということであります。

受験合格、商売繁盛などの願いは、それはそれでよいのですが、仏の願いからすれば非常にちっぽけなことのようです。

つまり、仏の願いである「人を仏にしたい」ということに沿うためには、そこまで願ってくださっている仏に対して「ありがとうございます」という感謝と、私たち自身が自ら「仏になりたい」という願いを持つということが、神仏の御心に最も適ったお参りの仕方である、ということだそうです。

仏になりたいという願いを起こすことを、お経の中には「発菩提心(ほつぼだいしん)」と説かれていますが、この「感謝」と「発菩提心」をもって神仏にお参りをする、このことを心がけたいと思います。

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第22期竜王戦

<第22期竜王戦>がいよいよ始まりました。

前期、ついに史上初の永世竜王資格を獲得した現渡辺竜王に挑戦するのは、十八世名人の資格をもつ森内九段です。渡辺竜王に竜王五連覇のきっかけを作ったのが、ほかならぬ森内九段であり、その雪辱を果たせるかという点でも楽しみなカードであります。

お互い居飛車の本格派ですが、森内九段はたまに振り飛車も指しますので、七番勝負の中でどのように絡めてくるかという点でも見ものです。渡辺竜王も、<順位戦>はB級1組ですが、現在B1の上位に位置しており、A級昇格となれば永世竜王の称号にふさわしい棋士と賞賛されるのも間近といったところでしょうか。

前期の渡辺vs羽生に次ぐ名勝負が期待できる大一番です。

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またもや出張続きでたいへん間が空いてしまいました。で、いつのまにか、王位戦は深浦王位が3連敗の後4連勝して防衛、王座戦は羽生王座が3連勝で防衛と、ひとまず安泰のような結果に終わりました。

さて、最近また印象に残った話を聞いたのでメモっておきます。
人間が生きる上で大事なことを、漢字一文字で表現するとしたらどんな文字が挙げられるかということで、それは「畏(おそれ)」という文字であるというのです。神仏に対する畏敬などという言葉の畏という字です。この畏ということを忘れると、人間はどんどん暴走してしまうというのです。

聞いた話を一言でまとめると以上のようなことですが、畏を忘れて暴走してしまっているというのは、まさに今この混迷した世の中の状態をいっているようにも感じられます。

歴史を振り返ると、エジプト文明は3,000年以上続きましたが、それは太陽を神と崇め、太陽歴を確立させ、太陽を中心に皆が協力し合って生活していたからなのだそうです。そのエジプトを滅ぼした主な王朝はマムルーク朝だそうですが、マムルーク朝は人間中心、実力主義の思想で発展し、君主も世襲ではなく実力者が就いていました。しかし、そのマムルーク朝が栄えたのは300年にも満たない短い期間であり、やがて、より強大なオスマン帝国に滅ぼされることになります。

しかし、そのオスマン帝国も第一次世界大戦で敗戦し、約700年続いた帝国も、現在はトルコ共和国に集約されているわけです。

実力主義を完全に否定するわけではありませんが、どうも神仏を敬う心というものが根底にないと、人間は驕りがでてきて、そうなると怠け心が生じ、向上心が薄れ、やることが保守的になったり、形骸化してしまうようなことに陥りやすくなるように感じます。

神仏を敬う心とか、目にみえない現象を畏れる(恐れる)気持ちは誰しも元々もっているものであり、忘れてならない心であるように思います。

仏教では、すべての現象は、その人を困らせたり、苦しめたりするのでなく、あくまでその人を成長させたいために仏が出してくださるという受け止め方が大事と説いています。現実には困ったり苦しんだりすることは無くならないわけですが、今現在苦しんでいても、そのことをクリアしたとき、苦しんでいたことが有難い現象だったと気づけたという経験を大勢の人が持っていると思います。

神仏に対する畏敬の念を忘れないようにしたいと思います。

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がんばろう!○○



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「実生活に生かせる仏教の追求」をメインテーマとしていますが、趣味の将棋や、その他、時事に絡んだ雑感などなど、気が向いたときに綴っております。どうぞ、おヒマなときに覗いてみてください。
2019年12月より山形県鶴岡市在住。
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