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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

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カテゴリー「雑感」の記事一覧

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日本の、そして世界の平和のために

平成28年6月22日、いよいよ参議院選挙の公示日を迎えました。今回の選挙は、戦後我々が経験したことのない極めて重要な意味がある選挙であると認識しています。それは、憲法改正、特に前文および9条に示された「戦争放棄」が改められ、日本が戦争のできる国に変貌してしまう恐れが秘められている、ということです。

自民党による憲法改正草案がアップされているサイトには直接リンクが許されていないので、自民党のトップページのリンクを貼らせて頂きますが、ここには憲法改正草案に関する情報が見当たりません(その意図はうすうす分かる)。

<自民党>

任意の検索サイトで「憲法改正草案」で検索するとすぐ飛べます。pdfをダウンロードして、ぜひお目通し頂きたいと思います。

自民党の憲法改正草案を読むと、「改正」などという言葉は使いたくなくなります。むしろ「改悪」あるいは「破壊」といった言葉のほうがふさわしいとさえ思えます。

5月3日の『報道ステーション』で、憲法記念日の特集報道がありました。(この映像はyoutubeにもアップされていたが早々に削除されてしまっている。このことも甚だ疑問。)この日、各地で改憲派、護憲派それぞれの集会が開催され、改憲派のある集会に、安倍総理がビデオメッセージを寄せていました。そこで安倍総理は、このように述べておりました。

「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです。」

呆れ果てます。違うでしょう。いや、とっても広い見方をすれば、結果的にそういうこともちょっとは含まれるのかもしれませんが、憲法とは、主権の存する国民が、第二次世界大戦勃発のときのように、国家が戦争へ暴走したりしないように、国家権力に対して歯止めをかけるものです。安倍総理、あなたはほんとうに総理大臣、いや、政治家なの?と問いたくなります。

以下のサイトが分かりやすいのでご参照をお勧めします。

<憲法をわかりやすく>

また、安倍総理はこのようにも述べておりました。

「憲法に指一本触れてはならない、議論すらしてはならないなどといった、思考停止の姿勢に陥ってはなりません。」

ちょっとまってください。憲法に指一本触れてはならないなどと、どこの誰がおっしゃっているのでしょうか? 現代にそぐわない内容や言葉遣いなどがある部分は、大いに改めていいでしょう。そういう議論は大いにやってよろしいんじゃないですか。

しかし、「戦争放棄」をなくして、戦争ができる内容に変えることだけは絶対やってはいけないと、良識ある一般人ならほとんどの人がそう思われるでしょうし、実際に大勢のデモなどではそのことを訴えているのです。自分自身もしくは家族、親戚、友人、知人が戦地に駆り出されて命を失う、そんなことを望んでいる人は、日本だけでなく世界中に一人も存在しないと信じます。

思考停止などとは、護憲派をバカにした発言です。というか、むしろ安倍総理が、なんとしても改憲するのだという思考に停止していらっしゃるんじゃないですか。その思考はどこから出てきているんですか? A級戦犯で投獄されたお祖父さん(岸元総理)の無念をはらしたいとでもお考えなんでしょうか? もしそうなら、そういう個人的な感情は即刻拭い去って、日本のため、いや世界の平和のため、リーダーとして何をなすべきなのかを真剣に考えて頂きたいものです。

そもそも歴史上、武力で平和が保たれたことなどなかったはずです。そのことを、日本人は第二次世界大戦で身をもって知り尽くしたからこそ、戦争放棄の憲法を打ち立てたはずです。その理念を国民一人ひとりが、戦後71年貫いてきたからこそ、戦後の復興が成し遂げられ、日本の信頼が確立され、先進国にまで成長することができたといえるのです。日本は戦争をしない平和で安全な国だと、世界中から認めてもらっているのです。

近隣のアジア諸国が日本をおびやかしそうだ、ある程度の武力を備えておかないと危ないんじゃないか、これを日米安保と絡めて「抑止力」などと称し、そういう考えが改憲派の意思の根底にある感じがします。しかし、それは現憲法下にて解釈され続けている個別的自衛権によってカバーされているのです。もし目の前に危害を加えようとする者が現れたら、誰だって身を守るために抵抗します。(憲法13条の規定。これが個別的自衛権であり、自衛隊が合憲である根拠)

安保法制しかり、憲法改正草案は、集団的自衛権(日本が他国へ出掛けて行って同盟国とともに戦争ができる)を容認するものであり、「戦争放棄」という理念を破壊するものといって間違いないといえます。集団的自衛権を行使したらどうなるか。攻撃された他国は同盟国だけでなく日本にも怨みを持つでしょう。日本に攻撃を仕掛けてくるでしょう。原発にミサイルを撃ち込まれたら日本は滅亡します。こうなりますよ、集団的自衛権を行使したら。安倍総理や現政権は、そういうことまで考えが及んでるんでしょうか。全く考えてないんでしょうね、おそらく。

だから、率直には、もはや日本は「戦争放棄」というのは理念でありつつ、現実的に他国の怨みを買うようなことをしてはならない国だといえるんです。永久に戦争を放棄しなければならないんです。(逆にいえば、戦争ができるようにするためには、原発をすべてやめるところから始める必要がある、という屁理屈も言えそうだが。)

GHQから押し付けられた憲法? そうではなかったことが、5月3日の『報道ステーション』で、すでに明らかにされています(戦後、日本国憲法制定時の幣原元総理が、マッカーサー元帥に対して「戦争放棄」の条文を盛り込みたい旨を進言していた)。

いかなるトラブルが発生しようとも、とことん話し合いで、平和的に解決する方法を必死に考え努力するのが政治家のはずです。そういう手腕を発揮して頂きたいですし、それができないなら政界から退いて頂きたい。話し合いをせず、いや、そこそこ話し合ってダメなら武力で相手を叩く、血を流す、そんな選択が許されていいのなら、政治家など必要ないと言いたいです。

安倍総理の選挙関連演説では、経済や年金など、一般市民にとってごく身近な、耳障りの良いことばかり申しておられますが、憲法9条を書き換えて戦争のできる国に変貌してしまったら、ごく普通の生活すら木っ端微塵になってしまいます。有権者の方々も、このことをよくよく認識して頂きたいと思います。

憲法9条を書き換えるということを貫こうという意思でおられるなら、現政権与党の議員に票を入れるわけにはいきません。

日本の、そして世界の平和な未来のため、くれぐれも間違った選択(投票)をしないよう、一人でも多くの方々の共感を得たいと願うものです。


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信頼こそが人間社会成立の基礎

恐れていたことが現実化してしまいました。

昨日、7月1日、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されました。

以下は、2014年7月2日付、北海道新聞に掲載された「集団的自衛権に関する首相会見(全文)」を一部抜粋しながら文章作成しております。(『 』内が抜粋です。)

安倍首相は会見で、『国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく』『海外派兵は、一般に許されないという従来の原則も全く変わらない』『外国の防衛、それ自体を目的とする武力行使は今後とも行わない』『日本が再び戦争をする国になるというようなことは断じてあり得ない』などと申されてはおります。

しかし、安倍首相が挙げられている事例として『例えば、海外で突然紛争が発生し、そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助輸送している時、日本近海において攻撃を受けるかもしれない。わが国自身への攻撃ではない。しかし、それでも日本人の命を守るため、自衛隊が米国の船を守る。それをできるようにするのが今回の閣議決定だ。』とは、聞こえはよさそうな感じはしますが、要するに、アメリカと他の国が戦争している時、日本人の命を助けるという名目ならば、アメリカと一緒に戦争に参加する、と言っているのと同じです!

歴史上、戦争によって国民の命が守られたことなど一度もないはずです。さらに、戦争に参加すると言っているのと同じであるならば、安倍首相の申されている『国民の命と平和な暮らしは守り抜いていく』『海外派兵は、一般に許されないという従来の原則も全く変わらない』『外国の防衛、それ自体を目的とする武力行使は今後とも行わない』『日本が再び戦争をする国になるというようなことは断じてあり得ない』は、建て前どころか、とんでもないデタラメ、大ウソということではないでしょうか!

人類の歴史は、戦争の歴史といっても過言ではないと思います。家族間の争い、部族の争い、集団の争い、と、文明が進むにつれて争いの規模が大きくなり、最後は国と国の争いとなってきたわけです。しかし、少なくとも日本は、第二次世界大戦を大きな教訓として戦争を放棄する憲法を打ち立て、その上に発展を遂げてきたわけです。

それがここにきて、なんら教訓が生かされることなく、軍事国家に逆戻りしてしまうような状況を再噴出させる決定をしてしまった、といわざるをえません。

なぜこんなことになったのか、とことん理由を問いたい気持ちもありますが、もはやそんなことをいってる場合でもなくなりました。

一切の争いがない状態を目指すことこそが人類共通の願いといえると思います。ある偉大な宗教家は「猜疑がなければ、紛争も起こりえません。まことに、信頼こそは、人間社会成立の基礎となるものなのであります」と述べておられます。信頼の輪を大きく広げていく、そういう努力をこそ、たゆまずなすべきなのではないでしょうか。

このたびの閣議決定は一刻も早く撤回し、それこそ、かつて安倍首相ご自身がおっしゃっていた「美しい国、日本」を作るべく、世界中から信頼される国づくりに邁進していただきたいものであります。

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震災の爪あと

先日、東京からのお客さまを、仙台城址(通称、青葉城)にご案内しました。震災後は初めてであり、城の石垣が一部崩落したという話も聞いておりましたので、ちょっと心配な気持ちもありました。

案の定、まず、仙台市内からの通常のルートが、石垣の崩落により、1年以上経った今も通行止めになっており、裏から回り込むルートとなっておりました。

でもまあ、平日であるにも関わらず、中学生の修学旅行や、外国人さんの観光客も大勢おり、仙台市内の定番観光地は、震災後もまずまず大丈夫だな、と思っていた矢先・・・なんかオカシイ、何かが足りない、ということに気付きました。

そう、あの昭忠塔のてっぺんに鎮座していたトンビ、あのトンビの姿が無いのです。

震災前の昭忠塔の写真はこちら↓



駐車場から公園に入り塔の正面にいくと、トンビがいない理由はすぐに分かりました。
震災後の写真がこちらです↓



幅6.7メートルもある青銅製の像が、20メートルもの頭上から落下してくるとは、改めて地震の大きさ、恐ろしさを実感いたしました。

一日も早く、復旧がなされることを祈るばかりです。

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幼年者心得之廉書

前回、「幼年者心得之廉書」の”その一”のみ書かせて頂きましたところ、一部の方からの全文を載せて欲しいというご要望にお応えしまして(^^;)、転載させて頂きたいと思います。なお、出典は「よみがえる日新館童子訓」(會津藩校日新館発行)です。原文の文語体の各条の後に、青字で口語訳を書かせて頂きます。

其の一
毎朝早く起き手洗い、口すすぎ櫛り衣を正しうして父母の機嫌を伺い、年齢に応じ座中を掃除し客の設け等致すべし。


その一
毎朝早く起きて顔や手を洗い、歯を磨き、髪の毛を整え、衣服を正しく着て、父母に朝の挨拶をしなさい。年齢に応じて部屋の掃除をし、いつでもお客様を迎えられるようにしなさい。


其の二
父母および目上の者へ朝夕食事の給仕、茶煙草の通ひすべし。父母一同に食するならば、父母の箸を取らざる内は食すべからず。故ありて早く食すことあらば其の訳を告げて早く食すべし。


その二
父母や目上の人への食事の給仕、それにお茶や煙草の準備をしなさい。父母といっしょに食事をするときは、両親が箸を取らないうちは先に食べてはいけません。どうしても先に食べなければならないときは、理由を話し許しを得なければなりません。


其の三
父母及び目上の者の出入りには、必ず送迎すべし。


その三
父母や目上のお客様が玄関を出入りする時は、送り迎えをしなさい。


其の四
出る時は父母に見て暇を乞い、行先を告げ、帰る時も同じくその旨を告ぐるべし。凡て何事も父母に伺い己れ専らになすべからず。


その四
外出をする時は父母に行き先を告げ、帰宅したら「只今戻りました」と挨拶しなさい。すべて何事も父母に伺いをたて、自分勝手なことをしてはいけません。


其の五
父母及び目上の人の前にて立ちながら物言い、立ちながら物聞くことをせざるべし。寒けれども手を懐にせず、暑けれども扇使わず、肌脱がず、衣の裾をかかげず。其の外不綺麗の物父母の見るところに置くべからず。


その五
父母や目上の人と話しをする時は、立ったままではいけません。また、いくら寒いからといって手を懐に入れたり、暑いからといって扇を使ったり、衣服を脱いだり、裾をたくし上げたりしてはいけません。父母の目につくところに、汚れた物を置くこともいけません。


其の六
父母及び目上の人事を命じ給わば、謹みて承り、其の事を整い怠るべからず。己れ呼び給わば速やかに答えて走り行くべし。仮初にも其の命に違わず、不敬の応声すべからず。


その六
父母や目上の人から用事を頼まれた時は、謹んで用件を聞き、怠りなく行動しなさい。呼ばれたときは速やかに返事をし、どんなことがあっても言いつけに背いたり、不真面目な返事をしてはいけません。


其の七
父母衣服を重ねる様命じ給わば、寒く覚えずとも命に従うべし。新に衣服を賜わば嗜まざるものにても慎て戴くべし。


その七
父母が寒さを心配して衣服の重ね着をすすめたら、さほどではないと思っても従いなさい。また、新しい衣服を用意して下さった時は、謹んで頂きなさい。


其の八
父母の常に居給う畳に仮初にも居るべからず。道の真中は尊者の通る所故、片寄り通るべし。門の閾を踏まず、中央を通るべからず。君門は尚更のことなり。


その八
父母の居場所となっている畳の上には、どんな理由があろうと上がってはいけません。また、道の真ん中は偉い人が通るところですから、子供は道の端を歩きなさい。門の敷居は踏んではならず、中央を通ってもいけません。ましてや藩主や家老など偉い人が通る門であればなおさらです。


其の九
先生または父兄と役義を同じうする程の尊者に道に逢う時は、路の傍に控えて礼をなすべし。行先など問うべからず。共に行くとも後れ行くべし。


その九
先生や父母と付き合いのある人と出会った時は、道の端に控えて礼をしなさい。決して軽々しく行き先などを尋ねてはいけません。もし、いっしょに歩かなければならない時は、後ろに控えながら行きなさい。


其の十
人を誹り、人を笑い、或は戯に高きに登り深きに臨み、危うきことなすべからず。


その十
人の悪口を言ったり、人を笑ったりしてはいけません。また、ふざけて高いところに登ったり、川や水の深いところで危険な遊びをしてはいけません。


其の十一
凡て学習のこと先ず貌を正しくし己を謙り敬て其業を受くべし。


その十一
すべて、学ぶことから始めなさい。学習に際しては姿勢を正し、素直な気持ちで先生を心から尊敬して教わりなさい。


其の十二
容貌は徳の則なりといえば、士庶人きっと分れ見ゆる様に威儀をたしなみ、不敬不遜の容体無之様にすべし。尤も何程懇意に交わるとも言葉を崩さず、目下の者の挨拶奴僕と等しからざる様にすべし。言語も他邦に通ぜざる野鄙の言葉は常に気をつけ直すべし。


その十二
服装や姿かたちは、その人となりをあらわします。武士は武士らしく、衣服を正しく整えなさい。どのように親しい間柄であっても、言葉づかいを崩してはいけません。目下の者や品のない人間と、同じように見えることをしてはなりません。また、他藩の人に通じない下品な言葉を使ってはいけません。


其の十三
父母ある時は送物の類、私にすべからず。人より送り物ある時は拝してこれを受け、父母悦んことを言うべし。凡てこれに準じ家長を称すべし。


その十三
頂き物があったときは、自分一人のものにしてはいけません。どんな場合も丁重に受け取ったあと、父母に喜んで頂けるようきちんと説明することが肝心です。


其の十四
父母の助けになることは聊か労を厭わず、まめやかに勤め行うべし。


その十四
父母の手伝いをするときは、力の出し惜しみをしてはいけません。まめに働きなさい。


其の十五
尊者我が方に来るか或は他へ行きたる時、我に上立つ人来らば其座を立て迎い帰りにも又送るべし。客を得ては奴僕は勿論犬猫の類に至るまで叱ることすべからず。尊者の前にて嚏欠伸すべからず。すべて退屈の体すべからず。


その十五
目上の人がみえられたときは、席を立って迎え、そして見送りなさい。お客様の前では、身分の低い者や犬、猫にいたるまで決して叱り飛ばしてはいけません。また目上の人の前で、しゃっくりやげっぷ、くしゃみやあくびもいけません。失礼な態度に見えるような仕草はいけません。


其の十六
長者何事にても問うことあらば、先ず一座の人を願望して答うべし。己れ先立って率爾に答うべからず。


その十六
目上の人から何か尋ねられたときは、その場の人たちを見まわし適任者がいるようならその人に任せなさい。決して知ったかぶりをして先に答えてはいけません。


其の十七
酒宴遊興を楽とすべからず。年若の時別して慎むべきは色欲なり。一生を誤り、名を汚すものなれば幼年の時より男女の別を弁い、色欲の咄すべからず。或は戯言を以て人の笑を催し軽浮の貌すべからず。争いは我儘より発するものなれば、常に慎むべし。


その十七
仕事もしないで、酒を飲んでさわぎ遊郭に行くのを楽しみにするような人生はいけません。若い男性は、異性への欲求が強くなりがちですが、これが癖になったりすれば人生を誤り、不名誉な生涯になりかねません。幼いころから男女の区別をしっかりし、女性と遊ぶ話を好んでするようなことは禁物です。下品な言葉で周囲を笑わせたり、軽はずみな行いをしてはいけません。また、喧嘩は我慢できないから起こるものなので、何事にも我慢強くし喧嘩などしないよう心がけることが大切です。


会津藩の藩校「日新館」が創設されたのは、1,803年(享和3年)だったそうですが、さらに遡って1,600年代の中頃、町民たちが立てた「稽古堂」が、日新館の前身だったという歴史が残っているそうです。興味のある方は、<會津藩校日新館>のサイトをご参照ください。

とにかく、400年以上も長く創設の精神が受け継がれ、今の生活にもそのままあてはまる、これほど具体的な教えが残っていることは大変有り難いことです。また、すでにその精神が基礎となって私たちのDNAに組み込まれているような感じもいたします。

古き良き時代、古き良きものにも目を向け、新しい時代に取り入れていく姿勢を忘れないようにしたいものであります。

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日本古来の精神

最近学ばせていただいた、会津藩での幼年教育、什の掟をご紹介したいと思います。

什の掟

一、年長者(としうえのひと)の言うことに背いてはなりませぬ
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言(うそ)を言うことはなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいじめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです


これは、会津藩の藩校「日新館」において、特に幼少年の男子に対し、以上の七つをしっかり守らせていたというものです。

この中で、七番目の「戸外で婦人(おんな)と言葉を交えてはなりませぬ」は、当時の封建社会の風潮からきているもので、男子を軟弱に育てまいとする意識のあらわれであり、男女平等の現代ではまったく通用しない内容です、という説明が添えられていました。

さらに、「幼年者心得之廉書(かどがき)」というものがあり、これは十七条あります。全部書き写してもいいのですが、とっても長くなりますので(^^;)、その1のみご紹介したいと思います。

その1
 毎朝早く起きて顔や手を洗い、歯を磨き、髪の毛を整え、衣服を正しく着て、父母に朝の挨拶をしなさい。年齢に応じて部屋の掃除をし、いつでもお客様を迎えられるようにしなさい。


「什の掟」も「幼年者心得之廉書」も、要は、父母や年長者を敬い、下の者や弱いものを助け、礼儀正しく居なさい、という精神に貫かれています。こういう教育は、一概にはいえまえんが大人になってからでは遅いので、幼少期から徹底して教育することが、結局は立派な人材、立派な大人を育成することつながるのだ、ということのようです。

元々日本は、古くから以上のような精神が培われてきている素晴らしい国だったはずですが、昨今の各界の諸問題を見聞きすると、いわゆる戦後教育、欧米化の波に推され、尊い精神が忘れられている感じが否めません。

もちろん、諸外国交流は大事なことでしょうし、これから益々国際化していくことも奨励されるべきことでしょうが、まずは自分から、日本古来の尊い精神を忘れないようにしていきたいものであります。

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歴史上最大の発見? 光より速いニュートリノ

平成23年9月24日の朝日新聞に「光より速いニュートリノが発見された」という記事が載っていました。久しぶりの、というか、ある種、生涯初めてのビックリ記事です。

ネットでも検索してみましたところ、メディア関係のあちこちのサイトがヒットしました。ご興味のある方は、ぜひ「光より速いニュートリノ」で検索してみてください。ちなみに、ニュートリノとは、物質を構成する陽子とか中性子とか電子とかと同類の、素粒子の一つと考えればよいでしょう。(というか、それ以上のことは素人の私には分かりません(^^;)

これがほんとうに、計測ミスもない事実だとしたならば、現代物理学を根底から覆す大事件になります。ただ、一部の記事に「これがほんとうなら、タイムマシンを作ることも可能になる」といったことも書かれていましたが、それは言い過ぎだと思います。まあ、これも素人の考えではあるのですが・・・。

私は以前、半導体メーカーに勤務していて、物理とか化学を多少かじっており、その延長で、相対性理論についても少々学んだことがあります。

相対性理論とは、ドイツの物理学者でノーベル物理学賞受賞者でもあるアルベルト・アインシュタイン博士が提唱した理論で、それまでのニュートン力学を古典物理、相対性理論以降の物理学を現代物理などといわれたりしています。

ニュートン力学は、日常生活においてならば、現在でも大変役立つ、有り難い学問なのですが、原子レベルの極小の世界や、光速に近いぐらいの速さで動くような世界においては、とたんに役に立たなくなり、そこに焦点をあて、物理学に革命を起こしたのが、ほかならぬアインシュタインの相対性理論であったわけです。

相対性理論の最大の特徴は、「エネルギーと質量は等価である」ということと、「光の速さは一定であり、何物も光の速さを超えることはできない」ということです。

これを話しだすと、どこまでも発散していって、私の少々かじった程度の知識では収拾つかなくなるので、この場では特に、「光の速さは一定であり、何物も光の速さを超えることはできない」ということにのみ触れてみたいと思います。

相対性理論には、いろいろなムズカシイ方程式が出てきますが、有名なものの一つに以下のような式があります。

m=m0/√(1-v^2/c^2)

mは物質の移動質量、m0は物質の静止質量、vは物質の移動速度、cは光速度を表わします。光速度は、秒速約30万キロメートルですから、cの値は、300,000,000m/sであり、c^2は90,000,000,000,000,000(9京)です。この式の分母に着目すると、vがcよりはるかに遅い、日常生活レベルの速度の場合、分母はほぼ1となるので、mはm0とほとんど変わらないということが分かります。

(2006年に打上げられた、人類最速の太陽系外縁探査ロケット「ニューホライズンズ」の速度は秒速30キロメートル(30,000m/s)ですから、上記の式に入れると、右辺の係数は1.000000005となります。人類最速のロケットの移動速度でさえ、たったの0.0000005パーセントしか質量が増えないということです。)

逆に、vがどんどん大きくなり、cに近づくにつれ分母が0に近づいていき、mがどんどん大きくなっていきます。もし、vがcと同じになると、分母は0となり、mは無限大になってしまいます。無限大の質量などというものは存在しえないため、これが、「何物も光の速さを超えることはできない」ということの一つの根拠となっています。

ところが、このたび発見されたニュートリノは、光の速さを超えているというのですから、相対性理論では説明がつかなくなるわけです。

それと、相対性理論には、時間に関する理論もあるのですが、光速度に近づくにつれ、時間は遅く進み、光速度に達すると時間は停止し、光速度を超えると時間が逆行する(マイナスの時間が「進む」)という式もあり、このことが「タイムマシンも可能」といわれるゆえんになっているのですが、そもそも、相対性理論が、光の速さが一定であり、あらゆる物理現象の基準として定義しているからであり、その定義事態がくずれることになるので、タイムマシン云々などという話以前の大問題であると思うのです。

いきなり話が飛躍しますが、相対性理論をはじめ、量子力学を含めた現代物理学は、宇宙の始まりとか、宇宙の果てとか、物質の最小素子を完全に把握できてはおらず、ましてや霊的現象などは、非科学として見向きもしていない事実を考えると、まだまだ進化発展する余地があるといえると思います。

今回の発見が、精神や霊の世界をも含めた新たな進化の始まりであるならば、歴史上最大の発見になるかもしれません。明るい未来を大いに期待したい発見であります。

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取り急ぎ、無事です

更新遅くなりました。被災者の安否確認、住居復旧支援のため、弊会建屋に泊まり込んで対応しておりました。私は家族共々無事です。各方面から、お励ましや救援物資等をたくさん頂戴し、心底から感謝申し上げます。詳細は、後日ご報告させて頂きます。取り急ぎ、ご報告まで。

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第二の地球に移住できる?

1ヶ月ぐらい前の新聞記事で、第二の地球が発見されたというのが掲載されていた、という話を聞きました。小生、新聞をとっていないもので(^^;)、さっそくネットで検索してみましたところ、あちこちのサイトがヒットしましたが、<こちら>のサイトが比較的わかりやすいかと思いましたのでリンクします。

この星は、水や空気の存在が確認され、生命体が存在している可能性が高いということで、アメリカでは大きな話題になったそうです。現在の地球に住めなくなったら、その星に移住すればいいみたいな話も冗談半分に盛り上がっているようです。

なにしろ、地球からその星までの距離は20光年。光の速さで飛んで行っても20年かかる距離です。光の速さで20年の距離、なんてサラッと言うと、「そんなもんなんだ」と錯覚してしまいがちになりますが、これまたとんでもない話なんですね。

実際どれぐらいのイメージか、あちこちのサイトを調べましたが、あまり参考になる情報が見つからなかったので、自分で計算しちゃいました。

光の速さで20年。この距離は、ざっと189兆2,160億キロメートルとなります。まだピンときませんね。

人類史上最速のロケットは、2006年に打上げられた「ニュー・ホライズンズ」という太陽系外縁探査ロケットだそうで、このロケットの最高速度は秒速30キロメートルというんですから、秒速30万キロメートルという光の速さのちょうど1万分の1になります。つまり、仮にこの人類史上最速のロケットに乗って飛んでいっても20万年かかる、ということです!

ちなみに、秒速7.8キロメートルで地球を周回するスペースシャトルの速さで行った場合は約77万年、時速300キロメートルの新幹線の速さで行った場合は7,200万年かかる計算になります(笑)

これからどれだけ科学が進歩しても、アインシュタイン博士の相対性理論によれば、物体は光の速さを超えることは不可能だそうなので、第二の地球に移住しようなんて話は、夢のまた夢のまた夢のまた夢をはるかに超えた夢の話、ということですね。

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ARMS DOWN!終了

(遅ればせながら・・・)ARMS DOWN!キャンペーンが、10/4、ニューヨークでのイベントを最後に無事終了しました。↓



日本国内での署名数も、当初の目標である1,000万人を達成し、終えることができたとのことです。

私自身はサブ的な立場でしたので、完全に没頭して署名活動に参加してはいませんでしたが、私なりに、コンビニの店員さんやクリーニング屋さんや床屋さんに署名してもらったり、あとはガソリンスタンドやホテルのフロントに署名用紙を置かせていただいたりして、ほんのわずかながらも貢献できたことがうれしく思っております。

連日連夜、街頭に立って署名活動をされた方の話を聞かせていただくと、快く署名してくださる方はたくさんいらっしゃいますが、手で払いのけられたり、無視されたり、活動そのものを批難したりする人も、街中には少なからずおられたようです。

もちろん、快く賛同して署名してくださるに越したことはないわけですが、必ずしも賛同されない方もいらっしゃるのが現実であり、そういう人に出会うことによって「だからこそ、平和を願って活動することが大事なのだ」と思えたことが、むしろ大きな成果だったという感想も聞かせていただきました。

大調和の世界(=宇宙)からみれば、一つの争いもなく、人も動物も自然も安穏に営まれる世界ということが大きな理想であると思われ、生きとし生けるものすべてが、そのような理想を現実にしたいという願いを持ちつつ生きることが、あるべき姿であろうと思います。

まずは私自身が、小さな争いを一つずつ無くしていくことを心がけ、身近な人から一人でも多くの人に呼びかけていけるよう努力したいと思います。

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恋愛と夫婦愛の違い

最近、<全国亭主関白協会>(略して全亭協)の天野周一会長さんのお話にハマっています。

いままで私は、カカア天下に相対するのが亭主関白だと認識しており、同じ認識をもっておられる方がほとんどだと思われますが、それは大変な認識違いであったことがわかりました。

どういうことかというと、そもそも関白というのは、時の権力者に次ぐ2番目の位のことであり、家庭において亭主が関白ということは、要するにカミさん(神さま)に頭の上がらない2番目の地位であるというのです。

つまり、カミさんに服従するのが亭主の本来の姿であるというのですから、亭主がいばりくさっているようでは家庭はうまくいかなくなるのは当然ということです。

なので、亭主の立場からしたら、カミさんの尻に上手に敷かれることを学ぶべきでありますし、カミさんの立場からしたら、亭主をいかに旨く手のひらの上でころがすことができるかということを学ぶ必要があるということです。

恋愛とは、あばたもエクボなどという言葉がある通り、なんでもかんでも相手を美化して燃え上がりますが、結婚して時間が経つとともに、燃え上がった炎は炭火のようにくすぶり、長所も短所もありのままが全部見えてきてしまいます。そのときに相手の短所ばかりを指摘しあうようなことになると、いきつく果ては離婚ということになるわけです。

したがって、長所も短所もありのままを受け入れあう、認め合う、カバーしあう努力が必要不可欠となります。そう、つまり、恋愛に努力は必要ありませんが、夫婦愛を育むには努力が必要ということなのですね。

これからも天野会長さんのご指南をよくかみしめて、円満な家庭、夫婦愛を育んでまいりたいと思います。

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がんばろう!○○



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プロフィール

HN:
BEACH
HP:
性別:
男性
自己紹介:
「実生活に生かせる仏教の追求」をメインテーマとしていますが、趣味の将棋や、その他、時事に絡んだ雑感などなど、気が向いたときに綴っております。どうぞ、おヒマなときに覗いてみてください。
2019年12月より山形県鶴岡市在住。
プロフィールの詳細は→
【こちら】

twitterアカウントは
「@beach_paddy」

facebookもやってますが、本名なので、一応ここでは伏せておきます(^^;

【アメブロ】も一応ありますが、本ブログへのリンクを貼ってあるだけです。あしからず;;


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仏教

仏教について、学んだことを書き綴っております。どうぞご覧ください。

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主に【将棋倶楽部24】で対局したときの棋譜を集めています。もちろんヘボ将棋ですが、よろしかったら息抜きに眺めてやってくださいマセ;

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