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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

人にやさしく自分にもやさしく

   

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アカシックレコード

アカシックレコードについて調べてみた。

とりあえず、ウィキペディアには次のように説明されている。

~アカシックレコード(Akashic Records)は広大な宇宙の涯てに存在するとされる、人類の過去から未来までの、意識上にのぼる歴史全てが記録されているデータバンク。アカシャ(Akasha)ともよばれる。アカシャはサンスクリットで「空」「宇宙」「エーテル」を意味する。~

その他、アカシックレコードで検索すると、実にいろいろなサイトがヒットするが、主な意味は、ほぼ上記の説明に集約される。

さて、そのアカシックレコード、どこにあって、どうやったらアクセスできるのか、そもそも、アカシックレコードなるものにアクセスできると、なにがウレシイのか、という疑問が起きる。

仏教では、あらゆる現象はすべて「縁起」によって成り立っていると説く。仏教ではと断ったが、これは単なる思想や哲学ではなく、不偏の真理・法則であると考えられる。つまり、あらかじめ予定(プログラミング)されている未来などというものはないのである。仮に、未来は確定しているのだとしたら、その確定している未来を100%解説できる人がいるハズだが、歴史上、そんな人間は一人もでてきてはいない。

同様に、霊の存在とか死後の世界などということに関しても、認めたほうが都合がいいケースが多いというだけであって、だれもその存在を証明できる人はいない。信じるしかないのである。

ならば、そのようなことを追求するために時間を費やすのはもったいないのではなかろうか。そんなことより「ちゃんと生きる」ほうが、より有意義な人生が送れるというものである。

禅問答に、以下のようなものがある。

~入門したての僧が、趙州和尚に尋ねた。
「私は、修行に入ったばかりの者です。どうか、仏教の根本を教えてください」
「朝の食事は終わったのか。まだか」
「はい、食べ終わりました」
「それならば、自分の茶碗を洗いなさい」~


大事なのは、過去でも未来でもない、現在である。いまなすべきことを精一杯やる。それしかない。その積み重ねが人生である。一日は一生の縮図である。

・・・とまぁ、これも理想であり、現実はなかなかこうはいかない。無為に過ごしてしまう一日だってあるし、後退してしまうことだってある。しかし、このようなことを心に置きつつ、できるだけムダなことに時間を費やすことをやめて、より有意義な一日を積み重ねていくように心がけたいものである。

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生きがいとは?

四苦八苦という言葉がある。

元々仏教の言葉であるが、なにしろ「人生は苦である」とお釈迦さまは説かれており、さらに、「苦は常態なのである」と教えられている。

ふつうの生活において、悩み苦しみはイヤなことであり、異常な状態であり、できれば避けたいことであると思うのが人情であろうが、イヤだのなんだのいっても、苦は異常な状態どころか、ごく普通の状態なのだというのである。

さて、四苦八苦の四苦とは、生・老・病・死の四つを指しており、読んで字のごとく、生きる苦しみ、老いる苦しみ、病む苦しみ、死ぬ苦しみということである。しかし、苦しみというのは常態であるから、逃げも隠れもムダなことであり、真正面から受け入れていくしか道は無い。(八苦については後日また気が向いたときにでも・・・(^^;)

ならば、どうすれば苦しみを克服できるのかといえば、先に何度も書いていることであるが、元々人間には仏性という仏と同じ性質が備わっており、その仏性に気付くことがなによりもまず先決である。

仏性に気付けば、慈悲喜捨(前回のブログ記事を参考)の行動を自然に起こすようになり、特に他を喜ばせることが結局自分の喜びとなり、喜んでくれた人に感謝できるようになる。

つまり、悩んでいる人、苦しんでいる人に手を差し伸べ、その結果、その人が救われ、喜ばれたとしたら、もちろんその人は私に感謝をされるであろうが、同時にその人は、この私に、慈悲喜捨の行ないをさせてくださった人ということになるわけであり、そこに感謝の念が交流する。この積み重ねが生きがいになるとはいえないだろうか?

苦しみだと思っていた生が、喜びに転換されるわけである。同様に、老いる、病む、死ぬということも、苦しみばかりではなく、人との縁によっては喜びに転換させることもできるのである。

精一杯生き、いずれ年老い、いずれ病気にもかかり、いずれ死がおとずれるのが人生なのだという覚悟が大事であろうし、死ぬ間際、いい人生だったと思えるためには、やはり人のためにいいことをし、感謝したりされたりする生き方が一番いい生き方であるということが理解できる。

とにかく、仏さまのマネをすることから始めるのもいいかもしれない。

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慈悲

キリスト教でいうところの「愛」に相当するのが、仏教でいう「慈悲」である。

もっと詳しくいえば、「慈悲喜捨(じひきしゃ)の心」を略したのが「慈悲」である。慈悲喜捨とは、それぞれ以下のような意味がある。

慈とは、楽を与えてあげたいと思う心。

悲とは、苦しみを取り除いてあげたいと思う心。

喜とは、人の幸せを共に喜ぶ心。

捨とは、人に施した恩も、人から受けた害も忘れ、一切の報いを捨て去る心。

以上の四つの心を「四無量心(しむりょうしん)」といい、いわゆる仏性を詳しく分析した心である。そして、この仏性=四無量心は、善人であろうが悪人であろうが、どんな人の心にも備わっているのである、とお釈迦さまは説いている。

「自分にはそんな心はない」とか、「あの人にはそんな心があるとは感じられない」と思う人もたくさんおられるだろうが、それは、ただ単に「気付いていない」というだけに過ぎない、とお釈迦さまは説く。

では、どうすれば自分の、そして他人の「四無量心」に気付くことができるかというと、結局のところ、慈・悲・喜・捨の行ないを、ちょっとずつでも実行してみることによって、ちょっとずつ気付くことができるのだそうだ。

足元のことから、目の前のことから、まずはできることから実行していきたいと思う。

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救われるとは?

「信じるものは救われる」という言葉がある。

ある著述家は「信じるものに救われる、という言い方のほうが正しい。」ということをおっしゃられていたが、たしかに、より的確な表現であるように受け取ることができそうだが、五十歩百歩でしょう。

フィーチャリングしたいのは「救われる」ということ。

さまざまな悩み苦しみや問題が解決したとき、「救われた」と感じる場面は多々ある。しかし、また別の問題が出てくると、「救われた」と感じた気持ちはいっぺんで無くなってしまい、またそれが解決すると「救われた」と思うだろう。

これの繰り返しが人生なのだといってしまえばそれまでだが、本当の意味で「救われる」というのは、ずっと深いところにあるようだ。

以前にも何度か書いていることだが、人間には仏性(ぶっしょう)という、神仏と全く同じ性質が元々宿っており、自分の仏性に気付くことが仏教で説かれる究極の教えである。

神仏と同じ性質=仏性というのは、簡単にいえば「他を救いたい」と思う心である。苦しんでいる人、困っている人、問題を抱えている人をみたら助けずにはいられない、しかし、その問題が自分にも手におえない大きなものだったら、直接助けることができなくても、どうか助かってほしいと念じるような心である。

つまり、究極的な意味で「救われる」というのは、「自分の、そして他人の仏性に気付く」ということになる。

さて、ではどうやったら「仏性に気付く」ことができるのか。仏教的に数ある手段の中で一番実践的なのは、家族でも友人・知人でもアカの他人でも、さらには自分をも含めて、人のアラ探しをすることをやめて良い所を見つける努力をすることである。

他人を蔑んだり、自分を卑下したりすることはやめたほうがよい。大勢の先輩諸兄が実践し、証明されていることでもある。

少しずつでも実践することを続けていけば、自分や他人の尊い仏性に気付けるであろうし、そのことを信じたい。これこそが「信じるものは救われる」の本当の意義ではないだろうか。

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最高R更新!

将棋倶楽部24での最高レーティングを、約3ヶ月ぶりに更新し、念願の5級に昇級しました!

いやぁ、約1年の道のりでした。世間一般の段級位で初段なら、24では3~4級と書かれてあったので、とりあえず6級ぐらいなら問題ないかと思って最初登録してみたものの全く勝てず、一時は12級まで落ちたこともありました。

つまり、24のレベルってどんどん上がってる!・・・って思っているのはワタシだけでしょうか?

実際、米長邦雄の家の米長教室では、24の5級ぐらいで世間一般の初段レベルとおっしゃられているように、別に自慢でもなんでもなく、それぐらいのレベルの高さが24にはあるんじゃないかなと思ってるんですよね。

それはともかく、やっと5級のレベルに乗っかったという程度なので、甘んじることなく精進いたしますヨ。次は24での初段を目指すぞ!・・・って、いくらなんでもハードル高すぎか(;;

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第19期竜王戦挑戦者決定!

将棋界のタイトルの中で最高といわれる竜王戦の挑戦者が、佐藤康光棋聖に決定しましたね。第19期竜王戦中継サイト ← ご参考。

渡辺明竜王が三期防衛となるか、はたまた佐藤康光棋聖が竜王タイトルを奪取するのか、将棋ファンとしてはとても興味のあるところですが、も一つ興味をもったのが、竜王戦の第一局が、サンフランシスコで開催されるということ!

いいなぁ、行きたいなぁ。以前仕事でサンフランシスコに行ったことがありまして、ゴールデンゲートブリッジは素晴らしい眺望だし、日本食はウマいし、とてもいいところだったという記憶が残っています。

それにしても挑戦者決定戦の最終戦、佐藤棋聖と丸山九段の三番勝負となったわけですが、挑戦権を獲得した第二局で佐藤棋聖が選んだ戦形は「ゴキゲン中飛車!」。中飛車党のワタシとしては、これまたウレシかったですねぇ。

しかも、ゴキゲン中飛車の天敵(?)といわれる丸山九段を相手に、あえてこの戦形を採用したのは、いきなりカウンターパンチを狙う心理的作戦もあったのかな、などと素人のワタシは思ってしまいますけどね。

角交換後の5筋の位はとるべからず、というセオリーも関係なく、堂々と位取りをされていたし、いやぁ、将棋ってほんと奧が深いし、プロってやっぱスゴいなーと唸らせられた一局でした。

なにはともあれ、竜王戦、どっちが勝ってもおかしくないでしょうけど、やっぱ年齢も若い渡辺明竜王にはタイトルを防衛してもらいたいですね。そのほうが盛り上がるんじゃないかな。ま、外野のたわごとです(^^;

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彼岸

9月に入り、今月は秋彼岸の月でもある。

彼岸は、ご存知の通り、春分の日と秋分の日を中心に前後3日間、供養が執り行われる日本古来の仏事である。

彼岸は、元々、春分点、秋分点という日が、昼と夜の長さが同じになる日であり、太陽が真東から昇り、真西に沈むという道が「白道(びゃくどう)」と呼ばれ、西方極楽浄土へ通じる道であるという思想に基づき、此岸(迷い多き此(こ)の岸)から彼岸(極楽浄土である彼(か)の岸)に亡き御霊を渡らせたいという願いが、その起源になっているといわれている。

さらに彼岸を掘り下げると、正確には「到彼岸(とうひがん)」、彼岸に到るということばを略したもので、これは、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」という仏教のことばを漢訳したものである。

波羅蜜多には六つの段階があり、すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つで、これを大乗仏教では「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ぶ。

仏教つまりお釈迦さまの教えは、最終的に仏の智慧を獲得する、仏に成るということを目的とする教えであるが、その一つの手段として説かれたのがこの「六波羅蜜」である。

布施とは、現代的にはモノや金をお寺などに施すことという意味にとられるが、もともとは、自分を省みず、他のために尽くすことをいい、現代的には「奉仕の精神」と置き換えてよい。

この布施の精神がキチンと確立されて、次に続く持戒(じかい:自分の身をつつしむこと)、忍辱(にんにく:ヤセ我慢とは違う、忍耐、辛抱のこと)、精進(しょうじん:心を乱さず、一心に励むこと)がそれぞれクリアでき、禅定(ぜんじょう)という、心を静め、ありのままの自分を見つめ、仏と同じ悟りを得るための精神を養うことができ、最終的な仏と同じ智慧に達することができるのであると説かれる。

要するに、彼岸とは、亡き先祖や知人の御霊を供養するという行為と共に、自分自身の中に眠る仏性を目覚めさせるという意味も含まれているのである。

「今日彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」(松尾芭蕉)という句がある。菩提とは、「仏さまのようになりたい!」と願う心である。

年がら年中、こんなことを意識しながら生活するのも困難と思われるが、せめて年に2回、春と秋の彼岸の折には、このようなことに思いを馳せて日本古来の行事にいそしむのもよいのではないでしょうか。

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ハメ手

今回も将棋ネタで・・・

おそらく中上級者の将棋ファンなら、たいていの人が知っていると思われる鬼殺し。小生が知ったのは、半年ぐらい前だったと記憶してますが(恥)、初めて知ったときの衝撃はナカナカのもんだったことを今でも覚えております。

いろいろ調べると、まだまだいろんなハメ手があるようですが、鬼殺しはなかでも代表的かつ典型的なもののようですね。

もちろん、ハメ手順を知ってる人にハメ手を使うと、逆にハマってしまうことになるわけですけど、これもいわば定跡の部類に入るワケで、知ってて損はないと思います。

ときどき、フツウの定跡と思って指しているのに、突然見たことのない手を指されてあれよあれよという間に寄せられてしまった、なんて経験が何度かあるんですけど、そういうのもマイナーなハメ手なんでしょうね。「二度とくらうもんか!」と思っても、また似たような手順でしてやられたり(>_<)

味方の駒はたかだか20枚。相手の駒も同じ数。9×9=81マスの盤も、決して多い数ではないが、一つ一つの駒の動きの組み合わせを考えたらほとんど無限といえる数になるわけです。

しかもほぼ完全に実力がそのまま反映されるゲームであり、だからこそプロとしても成立するワケですよね。

いやぁーやっぱ将棋って奧が深いっスねー。あたりまえか(^^;

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6級復帰;

将棋倶楽部24でのレーティング、どうにか6級に復帰しました。

といっても、6級と7級の間ギリギリの数値でして、少し油断するとまた7級に転がり落ちてしまいそうなところでありまして(^^;

しかし、あれですね。相振飛車をかなり苦手としていた自分でしたが、さすがに慣れてきて、相振での勝率も五分五分ぐらいにまとめられるようになってきました。

要するに、序盤から作戦勝ちを狙うような指し方にこだわっていたんだなぁということに気付いて、ワタシのようにゴキゲン中飛車のような力戦形を好む差し手としては、不利な状況であってもそこから反撃できる指し方を追求せねばならなかったのであります。

そのことに気が付いてから、相振飛車の戦いも面白いなーと思えるようになりました。

当初の目標であった5級はすぐ目の前ですけど、目標をより高く、これから将棋道(?)にも精進いたしますヨ!

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祟りについて(先祖供養の補足)

先祖供養についての考察および解説(学ばせて頂いたことのご紹介)は、ひとまず完結させたと思っていたが、あちこちのサイトを巡っていると「先祖の祟り」などという言葉がちょくちょく目につき、なおざりにできないと思ったので補足したい。

まず、祟るという意味を辞書で調べると次のように載っている。

(1)神仏・怨霊・物の怪(け)などが災いをする。
「悪霊が―・る」「ふりにし恋の神さびて―・るに/古今(雑体)」
(2)ある行為が原因となって悪い結果をもたらす。
「無理が―・って病む」

上記の説明は、全て正しいとはいえない感じがする。

結論からいうと、神仏が祟るとか、ましてや先祖が祟るなどということはありえないと考えたほうがよい。

たいていのまともな親ならば、我が子には幸せになってほしいと願うばかりで、不幸になってほしいなどとは思わないだろう。しかしながら、昨今は、親が子を殺すなどという痛ましいニュースを耳にすることも少なからず起きてしまっている世の中であるが、それでも、そのような行為に及んだ親は、激しい後悔の念にさいなまれながら一生を終えるはずである。

そうなれば益々、遺された子孫の繁栄を願いこそすれ、祟るなどということはありえないと考えたほうが自然なのである。

仮に、自分の先祖に、そのような不幸な行為を犯してしまった先祖がいることがわかっているなら、その先祖を反面教師とし、他に幸せを及ぼすことができるような人生を歩もうと決意し生きていくことが、そのような先祖にはなによりの供養になるであろう。

さて、では祟るとはどういうことか?何が祟るのか?

いろいろ学ばせて頂く中で得られた結論の一つとして、祟りの元となる何者かのことを怨霊などと表現されるが、結局、その怨霊を呼び込むのはおのれの生き方の心構えとしての不摂生・不養生が原因である、ということである。

怨霊を呼び込むような心とは、自分さえよければ他人はどうなっても知る由もないというような自己中心の心、他人の不幸を願い、他人の幸せを妬み、怨む心である。

怨霊などというものの存在は肯定も否定もできないが、一種のウイルスのようなものと例えると判りやすいと思う。

風邪のウイルスは、空気中にたくさん漂っているが、健康を保っている肉体には、感染しても発病することはないのと同様に、健康な精神には、怨霊などという得体のしれないものが入り込む隙はないのである。

健康な精神とは結局、先祖供養その3でまとめたように、感謝の念で先祖供養ができ、命の尊さに目覚め、先祖供養を他人にも勧め、未来の幸せをも願うような心である。

そしてさらに、そのような健康な精神は、元々誰にでも備わっているのだとお釈迦さまは説かれており、それを仏性(ぶっしょう)というが、その仏性に目覚めようというのがお釈迦さまの教えである。

身体の健康には誰でも関心があると思われるが、心の健康にも目を向けて生きることがより大事なことなのである。

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