9月に入り、今月は秋彼岸の月でもある。
彼岸は、ご存知の通り、春分の日と秋分の日を中心に前後3日間、供養が執り行われる日本古来の仏事である。
彼岸は、元々、春分点、秋分点という日が、昼と夜の長さが同じになる日であり、太陽が真東から昇り、真西に沈むという道が「白道(びゃくどう)」と呼ばれ、西方極楽浄土へ通じる道であるという思想に基づき、此岸(迷い多き此(こ)の岸)から彼岸(極楽浄土である彼(か)の岸)に亡き御霊を渡らせたいという願いが、その起源になっているといわれている。
さらに彼岸を掘り下げると、正確には「到彼岸(とうひがん)」、彼岸に到るということばを略したもので、これは、サンスクリット語の「パーラミター(波羅蜜多)」という仏教のことばを漢訳したものである。
波羅蜜多には六つの段階があり、すなわち、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六つで、これを大乗仏教では「六波羅蜜(ろくはらみつ)」と呼ぶ。
仏教つまりお釈迦さまの教えは、最終的に仏の智慧を獲得する、仏に成るということを目的とする教えであるが、その一つの手段として説かれたのがこの「六波羅蜜」である。
布施とは、現代的にはモノや金をお寺などに施すことという意味にとられるが、もともとは、自分を省みず、他のために尽くすことをいい、現代的には「奉仕の精神」と置き換えてよい。
この布施の精神がキチンと確立されて、次に続く持戒(じかい:自分の身をつつしむこと)、忍辱(にんにく:ヤセ我慢とは違う、忍耐、辛抱のこと)、精進(しょうじん:心を乱さず、一心に励むこと)がそれぞれクリアでき、禅定(ぜんじょう)という、心を静め、ありのままの自分を見つめ、仏と同じ悟りを得るための精神を養うことができ、最終的な仏と同じ智慧に達することができるのであると説かれる。
要するに、彼岸とは、亡き先祖や知人の御霊を供養するという行為と共に、自分自身の中に眠る仏性を目覚めさせるという意味も含まれているのである。
「今日彼岸 菩提の種を 蒔く日かな」(松尾芭蕉)という句がある。菩提とは、「仏さまのようになりたい!」と願う心である。
年がら年中、こんなことを意識しながら生活するのも困難と思われるが、せめて年に2回、春と秋の彼岸の折には、このようなことに思いを馳せて日本古来の行事にいそしむのもよいのではないでしょうか。
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