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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

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タイトル戦目白押し

久しぶりに将棋の話題を。

第55期王将戦、ワタシの応援する佐藤棋聖が1勝3敗となってしまいました。詳細はこちら、日本将棋連盟のサイトから。

やっぱり羽生三冠は強いっすねー。羽生三冠ももちろんワタシの好きな棋士の一人ではありますが、やっぱ挑戦者を応援するのが人情でありまして。そして、棋風的には佐藤棋聖の緻密流にけっこう魅せられてます。よくゴキゲン中飛車も採用されますしね。

しかし、このあと羽生三冠に3連勝して王将のタイトルを奪取するのは至難の業ってカンジでしょうか。でも最後まで頑張ってもらいたいっス。

でもって、この王将戦の最中に、第31期棋王戦が始まり、またしても佐藤棋聖が、今度は森内名人に挑戦するというハードさ!まだ王将戦の決着はついてませんが、ここでも佐藤棋聖には頑張ってもらって、ぜひとも棋王のタイトルを奪って頂きたいっスね。

一方、実はもっと興味のある対戦が行われておりまして・・・。それはレディースオープントーナメント!この決勝戦、矢内女流名人と里見女流1級という対戦で、三番勝負のところ、現在1勝1敗という接戦なのです。しかも、里見女流1級は、まだ中学生っていうんですから驚きです!

そしてまた、この里見1級の得意戦法が中飛車っていうんですからウレシイじゃないですか!第3戦は2月22日。これも目が離せません。もし里見1級が勝ったら、メディアも盛り上がるんじゃないですかね。ぜひ頑張って欲しいっス!

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全てが尊い存在

多忙モードからようやく通常モードに切り替わりました。久しぶりの更新です。

仏教について、コツコツ学ばせて頂いておりますが、最近また新たな気付きが得られましたので書かせて頂きます。

これまでに何度も、仏教とは、仏さま(釈尊)が説かれた教えを学び、身に付け、実践することによってよりよい人生を歩もうとする教えであり、同時に、仏に成る(要するに、「できた人」になる)教えである、ということを書かせて頂いた。

仏に成るということは、仏性を自覚するということであり、この仏性とは、誰にでも「備わっている」ものであると学ばせて頂いており、そのように書かせて頂いてきた。

さて、この「備わっている」という感覚は、泥水の水面に咲く蓮の花のように、汚れ多いものの中に、仏性が内在しているというイメージであり、汚れを取り除き、磨くことによって仏性が輝き始めるというように感じられる。

しかし、仏教では「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」と説いており、これは「あらゆるもの(一切衆生)がことごとく(悉)仏性を(有)する」という意味であるから、キレイなものとか汚いものなどという区別は無いということである。

全ての存在が仏性そのものである、ということである!キレイとか汚いというのは、人間のあさはかな才覚でしかないようだ。

蓮の花にしても、泥水があるからこそ、泥水の養分を吸い取って花を咲かせるわけであり、花と同様に泥水も尊い存在である、ということになる。

「キレイ」とか「汚い」とかを超越した「全てが尊い存在である」ということを発見し、実感されたのが、どうやらお釈迦さまの「悟り」ということであったようだ。

諸法無我(しょほうむが:すべて関係し合っている)という真理を基に考えれば、必要のないものは存在すらしないわけであるから、人間のあさはかな知恵で、むやみに排除するようなことを行うことは、真理に逆らう行為である、ということもいえる。

なかなかこのような達観した境地に達することはできないのが凡夫の悲しさではあるが、やはり繰り返し繰り返し、一日のうちほんの少しの時間でも、全てが尊い存在であるということに思いを馳せることが、自分をそして周りをも向上させる為にとても大事なことのように思う。

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全ては仏さまのもの

またもや多忙モードですが、合い間をぬって久しぶりの更新です;;

先日、宗教評論家の「ひろさちや」さんの著書を読んでいて、なるほどなーと思ったので私なりに噛み砕いてご紹介します。

まだ小さい二人兄弟のお兄ちゃんが、ある日お母さんと親戚の家に遊びにいきました。親戚のおばさんは、帰りがけ、お兄ちゃんにショートケーキを一つくれました。帰り道、お母さんはお兄ちゃんになんて言ってあげたらよいと思いますか?

1.(弟の)ヒロくんにも分けてあげようね。
2.(弟の)ヒロくんにバレないように食べちゃいなさい。
3.(弟の)ヒロくんとケンカになっちゃうといけないからママが預かるわね。

どうでしょうか?どれも有り得る答えですが、実は、1~3のどれもあまりいい答えではないようです。

1は、「ボクは弟に分けてやったんだ。」という優越感を増長させ、弟より立場が上であることを固定化させるような意識を植え付けてしまうことにもなりかねません。

2は、「これからもバレさえしなければ何をやってもよいのだ」という意識をもってしまう恐れがあります。

3は、「自分がもらったものなのに、なぜ母親にとられなければならないのか」と、親を恨む気持ちを起こさせてしまうことになりそうです。

現実は、たいてい1の答えになりそうですが、これはもちろん正解があるわけではありません。ただ、最もよいと思われる答えが他にあります。

それは、「まずは仏さまにお供えしようね。」ということです。仏さまに供えることによって、所有権はお兄ちゃんから仏さまに移ります。仏教的にいえば、どんなものであろうとも、全て仏さまのものであるのですが、供えるという行為によって、それが子どもにも明確に理解できます。

その後、兄弟で分けたとしたなら、それはお兄ちゃんが弟に分けたのではなく、仏さまが二人に分けてくれたものである、ということになります。

小さい頃から、このようなことを親が子どもに伝え、情操心を養うことはとても大事なことのように思います。

子どもがもらったお菓子にとどまらず、よそからもらったお土産や、父親が稼いだ給料の明細書でさえも、まずは仏さまにお供えし、そうしてから大事に使わせて頂くという行為は、心を豊かにするものだと思います。

「全ては仏さまのもの」という心を大事にしたいですね。

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佐藤棋聖

年明け早々から信じられないような殺人事件が続き、人間の心はいったいどうなってしまったんだろう、どうなってしまうんだろうと、なんともやるせない心境になっておりましたが「人間は神仏と同じ性質を本々備えているのだ」というお釈迦さまの教えを深く信じ、明るい未来を信じる心に切り替え、日々生活しております。

さて、久しぶりに将棋の話題。

ついこの間、竜王戦に挑戦し、惜しくも3勝4敗でタイトル奪取を逃した佐藤棋聖が、今度は王将戦に登場です。詳しくは日本将棋連盟のサイトをご参照ください。羽生三冠と熱戦を繰り広げ(といってもまだ第一局が終わったところですが)、一勝を挙げております。羽生vs佐藤も目が離せませんね。

そして今度、2月には、森内名人・棋王に対し、棋王戦にも挑戦することになっているのが佐藤棋聖。半年も経たないうちに、7大タイトルの3つに挑戦する佐藤棋聖って、ひょっとしてとんでもない棋士なのでは??などといまさらになって気付きました。

逆に、そんな佐藤棋聖を返り討ちにした渡辺竜王はやっぱりスゴいということにもなるのかな?ワタシ的には今まで渡辺竜王を応援していましたが、佐藤棋聖も気になりだしてきました。やっぱ、チャレンジャー的立場にいる人を応援したくなるのが人情ってもんですよね。

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宗教(信仰)の奨め

興味深いサイトを見つけました↓

MIYAGAWA

このサイトの、「危ない宗教の見分け方」というページをご覧になってみてください。なかなか共感できることをおっしゃっておられます。

さて、一口に宗教というと、残念ながらどうしてもマイナスイメージが先行してしまうのが通常ではないでしょうか?それはやはり、12年前に地下鉄サリン事件を起こした某カルト(カルトと断言していいでしょう)団体や、最近では強引な勧誘をしたとして逮捕者を出した、こちらもカルトっぽい某団体などが、宗教に対するマイナスイメージを作っている典型といえそうです。

しかし、本来、宗教とは、読んで字のごとく「宗(むね)の教え」ということから、正しい生き方の根本を教えるものであるので、当然必要なものであるはずです。世界三大宗教といわれるキリスト教、仏教、イスラームは、それこそ2000年以上もその教義が継承され、世界中に広まっている事実は、必要なものであることの最も解りやすい証明といえるのではないでしょか。

現在、日本だけでみても、宗教法人は、なんと22万(!)を超える団体が存在するそうです。たいていの団体は、さまざまなボランティア活動などを通じ、社会に溶け込んで世のため人のため自身の向上のために行動されていて、社会やメディアに叩かれるようなことをしてしまう団体はほんの一握りであると思いたいです。

さらに、日本という国は、元旦には神社に初詣をし、4月8日にはお釈迦さまの誕生日を、12月25日にはイエス・キリストの誕生日をお祝いし、結婚式は教会で、葬式はお寺でというように、ほとんどの宗教をTPOで受け入れ、使い分けることができる、きわめて珍しい、おおらかな人種であると聞いたことがあります。

つまり、特定の宗教団体に属していなくとも、宗教心(信仰心)は意外に篤いものを持っているということがいえそうです。

信仰心は尊いものだと思います。その心をより高く、深く育てることができるならば、そして、そういう人が増えるならば、明るく温かく住みよい社会ができると思います。そのためにはやはり、なんらかの団体に属し、儀式や行事やボランティアに参加することが大事なことではないでしょうか?

檀那寺に属していたらそこの宗旨を、神道、クリスチャンなら、それぞれの教義に興味をもって、週に1回でも月に1回でも学んでみられることをお奨めします。損はしないと思いますよ。

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皆いずれ必ず死ぬということ

雑阿含経(ぞうあごんきょう)というお経に、四馬(しめ)のたとえという次のようなお話があります。

「第一の最高の名馬は、ムチの影を見ただけで走り出す。第二のいい馬は、ムチで打たれて走り出す。第三の普通の馬は、ムチで打たれ、皮が破れ血が出てはじめて走り出す。第四の駄馬は、ムチで何度も打たれ、皮も肉も破れ、骨に達して(骨身に沁みて)はじめて走り出す。」

このお話は割りと有名だと思います。名馬はムチの影を見ただけで走り出す・・・なるほど、と思われそうですが、これはたとえ話なので、もちろんこれで終わりなわけではありません。

人が、人の死目(しめ)を縁として、いつ正しい生き方に目覚めるか、ということに置き換えられます。

第一の人はアカの他人の死を縁として目覚め、第二の人は友人知人の死を縁として目覚め、第三の人は身内の死を縁として目覚め、第四の人は自分自身が死ぬ間際になってはじめて目覚める、というのです。

魂は永遠という概念はありますが、肉体は限りがあり、必ず誰しも死が訪れます。限りがあるからこそ、大事に、有意義に生きなければならないし、そのことにほんとうに目覚めることができたなら、自分の命も他人の命も等しく尊重する心も生まれてくるのではないでしょうか。

誰しも「死に向かって精一杯生きている」ということをよくよく認識する必要があると思います。

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生命の尊さ・重さ

年明け早々から、連日のように殺人事件が報道されている。それも、親が子を殺すとか、子が親を殺すとか、兄弟姉妹を殺すとか、最も身近な人を殺めるという目も耳もふさぎたくなるような痛ましい事件である。

近年、よく「キレる」ということが取り沙汰され、自分を見失って他人を傷付けたり、殺めてしまったりということが起きているが、ただ単にキレたからといって、その都度傷つけられたりしていてはたまったものではない。そういう意味では、耐え忍ぶという心も薄れているようにも思われる。

しかし、少々キレるようなことがあったからといって、普通の感覚で「殺す」という行為にまで及ぶものだろうか。ましてや、自分の一番身近な肉親を殺めてしまうような感情というのは、もっと根本的な、大事な意識が欠落していることが原因になっているように推察する。(逆に、身近であるがゆえの甘えという状況も多分に起こり得ることかもしれないが・・・)

それはつまり、生命の尊さ・重さということである。

仏教が教えるところでは、生命とは宇宙意識そのものだということである。その宇宙意識の働きとは、新たな生命を生み、育てたいという意識のみであり、憎しみによって他の生命を絶とうなどという意識はこれっぽっちもないのである。

生命の尊さ・重さは、当たり前のように誰もが知識として知っていることかもしれないが、たんなる知識としてだけでなく、仏教でいう智慧(知恵ではない)となって体解することが大事なことである。自分の命も、他人の命も、全く同じ命であって、同じように尊く、重いものだということをしっかり認識する必要がある。

そのためには、やはり毎日毎日繰り返し、生命の尊さ・重さに思いを馳せ、生かされている命に感謝するひとときを持つことが大事なことであるし、他を生かそうとする思いやりの行動を、ほんの少しでもいいので繰り返し実行することが大事なことである、と仏教では教えている。

特に、感謝するひとときを持つことの具体的な実践方法としては、神仏に手を合わせ、頭を垂れ、生かされている命に感謝する、ということである。これは、各家の宗教や宗派に関わらず、仏壇があろうがなかろうがいつでもどこでも実行できる。

無宗教だという人ならば、親でも学校の先生でも会社の社長でも総理大臣でも、あるいはタレントだろうが気の合う友人だろうが隣のおじさんだろうが誰でもよい、この人のお陰で今の自分があるのだ、と思える人が一人ぐらいはいるものである。そういう人を心に浮かべて、感謝の思いを起こし、その思いを自分自身が意識するということが大事なのである。

一人一人がそんな思いで、生命の尊さ・重さに感謝ができるような世の中になるならば、凶悪な事件などはすぐさま消滅するのではなかろうか。また、そんな祈りを捧げつつ、日々生活できるようになりたいものである。

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継続すること

年始からイキナリ多忙モードにどっぷり浸っていましたが、ようやくひとヤマを越えたところで久しぶりの更新です。

何事も、長~く続けることは容易なことではないし、だからこそ継続することは大きな意義があるのだと思います。継続は力なり、という言葉もあるように。

先日、こんな言葉を聞きました。

「10年、偉大なり。20年、恐るべし。30年、歴史なり」

30年も続けば、それは一つの歴史になるのだということです。なるほどと思いましたね。会社などは特に30年というのが一つの大きな区切りで、社会的に本当に認められる企業になるかどうかの境目となる、という話も聞いたことがあります。

それと、思い出しましたが、これは小学生のときに校長先生から聞いた話です。

「10回繰り返すことはモノマネである。
 100回繰り返すことを勉強という。
 1000回繰り返すことを練習といい、
 10000回繰り返すことを鍛錬という。」

聞いた当時は、10回繰り返すのでも大変なのに、100回繰り返すなんてとんでもねー、まして10000回繰り返すなんぞ、想像もできねー、なんて思ってた記憶がありますが、今思うと、なんとも含蓄のあるお言葉だなーと思います。年とった証拠なんですかね;

コツコツ積み重ねることも容易なことではありませんが、簡単なこと、身近なことから実践していきたいですね。

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元旦(漢字は面白い)

あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

新年早々、さっそく面白い話(といっても笑えるワケじゃなくて^^;)を聞きましたのでメモ。

元旦の旦の字は、一の上に日と書きますね。これは、地平線もしくは水平線の上に太陽が昇ったところを表わしているのだそうで、つまり、初日の出を拝んだ段階で初めて「明けましておめでとう」ということが成立するのであって、そういう意味では、午前零時で日付が変わってすぐに「明けましておめでとう」は成立しないのだそうです。

今現在の時刻は、午前2時35分。従って、上記のことに倣うと、まだ「明けましておめでとう」ではないのです(^^;)

漢字の意味を調べると、もっといろんな発見や気付きが得られそうですね。

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生かされるとは?

年賀状も書き終わり、公私ともようやく年を越せる準備も整ったところで久しぶりの更新です(^^;

今日もイイ話を聞いたのでメモっておきます。

「大事なものほど無料(タダ)である」という。大事なものの最も代表的なものとして、太陽の光、空気、水がある。もっとも、国や地域によっては、水は有料のところもあるが、雨水、川の水、海の水は万人に平等に存在する。

太陽の光も、空気も、水も、あまりにも身近すぎて、いちいちそれらを意識して生きているわけではないのだが、当然のことながら、これらの1つが無くなっただけで生きていることはできなくなる。

仏教では、あらゆるものは孤立して生きているのではなく、あらゆる存在によって生かされているのだと説いているということは、前にも書かせて頂いた。

例えば、自分の心臓一つとってみても、自分の意思で動かしているわけでないことを考えただけで、生かされているという意味はすぐに理解できることである。

では、なぜ生かされているのか?

これも仏教では、必要があって、役目があって全てによって生かされているのだと説いている。

そしたら、どう生きなければならないのか?

これはもう明白なことで、仏教でも説かれていることであるが、自分を生かしている全てに対する恩に報いるために生きなければならないし、生命とはそういうものである。

家庭においても、地域においても、会社においても、全ての(生命)活動は、回りをよくしよう、回りの恩に報いようという、個々の生命に刻み込まれている本能ともいえるものであるようだ。

何かに行き詰ったり、悩み苦しんだりする原因は、極論をいうと個人的な損得のみに捉われ、回りの恩を忘れていることにある場合が多い。

年がら年中、回りの恩に感謝することなどはムズカシイことだが、せめて1日1回ぐらいは、心を静めて生かされている恩に感謝するひとときを持ちたいものである。

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がんばろう!○○



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「実生活に生かせる仏教の追求」をメインテーマとしていますが、趣味の将棋や、その他、時事に絡んだ雑感などなど、気が向いたときに綴っております。どうぞ、おヒマなときに覗いてみてください。
2019年12月より山形県鶴岡市在住。
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