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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

人にやさしく自分にもやさしく

   

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鬼手

プロの将棋を観戦していると、ときどき「えーーっ!そんなことして大丈夫なんスか!?」と言いたくなるような指し手を目にすることがあります。しかし、それはもちろん、なんらかの狙いを秘めているわけであり、そういう手は、いわゆる好手とか妙手といわれますが、それすらを上回るような恐ろしく鋭い手については鬼手(きしゅ)と呼ばれたりします。

以下は、先日行われた、大和証券杯ネット将棋での羽生二冠(先手)と谷川九段(後手)の棋譜の120手まで進んだ局面であり、次は羽生二冠の指し手です。(矢印をクリックすると、手を進めたり戻したりできます。)



この局面で、本譜(実戦の棋譜)では、先手の羽生二冠は▲5五桂の王手を放ち、以下指し手が進む通り、後手優勢の形勢が動くことなく、最後は羽生二冠の投了となりましたが、局後の感想戦で、羽生二冠が「この局面、▲6五桂ではどうでしたか?」といわれました。

それにはさすがの谷川九段も「その手は発見できなかった。」といわれ、解説の渡辺竜王もおどろいていました。

▲6五桂という手は、ほうっておいたら次に▲7二銀からの詰めろを狙い、同時に相手からの△6五桂の寄せを阻止する鋭い手であります。後手はやむをえず△同飛もしくは△同歩と応じるしかありません。そうなると次に先手は▲2七角と、相手の角をタダで払い、形勢逆転できたかもしれないワケです。まさしく鬼手といえる指し手だったと思います。

お互い時間を使い切り、30秒将棋となっていた局面だったこともあるためか、残念ながらこの鬼手を本譜で拝むことはできませんでしたが、さすがは羽生二冠と思わせられた感想戦でありました。

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ショーシャンクの空に



ダントツでYahoo!映画のお気に入り作品1位に君臨するこの映画。多くのレビューを拝見し、あちこちのサイトで紹介されているストーリーもよく読んで、いわば予備知識たっぷりでDVDを買って観ましたが、予想以上の素晴らしい映画でした。

例のごとく、以下、少々ネタばれになりますのでまだ観てない方はご注意を・・・。



テーマとしては、希望、友情、信念といったキーワードが思い浮かびますが、なにより、それらを失わずに持ち続ける継続心ということが、大きなテーマとして描かれていたように感じました。

なんといっても、文字通りコツコツ独房の壁に穴を掘り、20年以上もかけて貫通させて、さらに下水管を歩腹前進で脱走するシーンには、思わず「頑張れ!」と言いたくなりました。

残酷な、目をおおいたくなるようなシーンもありますが、それもこれも上記のテーマを際立たせるための最高の演出ということになりますか。惜しむらくは、このいくつかの残酷なシーンがあるがゆえに万人ウケはしないというか、気が小さい人は見ないほうがいいかもしれませんね。

まあしかし、冤罪という設定が、観ている側が自然に応援したくなる気持ちが湧く感じがします。一人ひとりのキャラクターも非常に個性的で分かりやすく、かつ、その人間関係がまた絶妙に絡んでいます。でもって、モーガン・フリーマンがまたイイ演技をしますね。一発でファンになりました。

最後のシーンの爽快感・安堵感は、いままで観た映画の中で間違いなくNo.1ですね。お奨めの映画です!

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第20期竜王戦いよいよ開幕!

第20期竜王戦がいよいよ明日開幕します!詳細は、第20期竜王戦中継公式サイトをご参照ください。

ちょうど一年前の前期に引続き、佐藤二冠がふたたび渡辺竜王に挑戦するカードとなりました。一年前は、若い渡辺竜王の防衛を応援しましたが、今年は、ワタシのポリシー通り、挑戦者である佐藤二冠を応援したい。

観る側としてはやはり、佐藤二冠に昨年の雪辱を果たしてほしいし、そういう展開のほうが盛り上がるんじゃないですかね。まあしかし、佐藤二冠が竜王を奪取した場合、当然ながら三冠となり、今の羽生二冠のタイトル保持数を超えるワケでして、それはそれでちょっと複雑なカンジもありますが。

でもまあ逆に、羽生世代の森内名人、佐藤二冠にもどんどん活躍してもらって、その上で羽生二冠が永世タイトルを獲得するような展開になれば、さらに盛り上がりますよね。

とにかく、佐藤二冠には、今期こそは竜王のタイトルを奪取して頂きたいッス!

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ドラマもイイ!

カテゴリ「映画」を「エンターテインメント」に変更しました。より広く、ドラマや音楽についても雑感をつづってみたいと思いまして。

さしあたり、最近観たドラマでは「花ざかりの君たちへ~イケメン♂パラダイス~」がとってもよかった!ストーリーもよかったけど、キャスティングもよかったですね。主要なキャストはみんな演技ウマかったので、安心して観れました。

特に、主演の堀北真希さんは素晴らしかった!男子高に編入(潜入?)して、もちろん男装で言葉遣いも男子になりきり。セリフやしぐさにときどき女の子らしさが垣間見られるところなんぞ、絶妙にこなしてましたね。ほんと、ハマり役だと思いました。

ALWAYS三丁目の夕日を観て、若いのにいい演技する女優さんだなーと思ってました。11月には続編が公開されるとのことでこれも楽しみですが、「花ざかり・・・」を観て、益々堀北さんのファンになりました。

で、も一つ楽しみなのが、来年のNHK大河ドラマ「篤姫」です。主演の篤姫役が、これまた好きな女優さんの一人、宮崎あおいさん、そして、和宮役が堀北さんっていうんですから、こりゃ絶対見逃せませんヨ!放映開始が待ち遠しいっスね!

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正しいとは?

10月13日は日蓮が亡くなられた日である。この日の前日となる10月12日をお逮夜(おたいや)といい、まとい、万灯、笛、鐘、太鼓などの行列で、日蓮宗系のお寺の境内などを中心に練り歩き、日蓮への供養を捧げる「お会式(おえしき)」という行事が執り行われる。

さて、この日蓮という人物、たいへん血気盛ん、かつ人並み外れた強固な信念を持った人だったようである。代表的な言葉に、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と言い放ったという、いわゆる四箇格言がある。

戦乱真っ只中の鎌倉時代にこんなことを大声で口に出したらどうなるだろうか。当然ながら日蓮は幕府に捕らえられ、処刑されそうになった。いや、実際、処刑場に引き連れられ、首を刀で切られそうになったのだが、まさに首を切られようとするその瞬間、稲妻のような光が輝いたと思ったら、刀がバラバラに砕け折れてしまったのだそうだ。もちろん、真偽は定かではないが、今日までそのように言い伝えられている。

日蓮を処刑したら何か崇りがあるのではと恐れた幕府は、日蓮を処刑することは取りやめ、佐渡へ流刑することになったのである。

その他にも日蓮は、数多くの弾圧や迫害を受けているのだが、ことごとくそれらを乗り越え、さらにそれは妙法蓮華経というお経に書かれているとおりであったことに気付き、益々、法華経によって世を救うのだという決意を固めたそうである。

それほどすさまじい生涯を送った日蓮であるがゆえに、その弟子達の帰依心も相当なものであったことは容易に想像できる。しかし、日蓮のやり方が正しかったかどうかというのは別問題ではなかろうか。

たしかに、幾多の戦乱が起こり、天変地異も続き、疫病などの病気が蔓延していたような時代であり、世の中の人々の苦しみがいつになったら尽きるのかわからないような時代だったからこそ、日蓮のように声を大にして革命的なことを訴える人が必要だったのだという推測はできるが、それがいつの時代にも通用するかというとそうではない気がする。

さらには、お釈迦さまの教えはもう通用せず、今の世の中、仏としてあがめるべきは日蓮である、などと宣言している新興宗教もあるようだが、本末転倒もはなはだしいというべきであろう。

正しいのは宇宙の法則(いわゆる真理)であり、その法則に従い、他と調和して生きることである。法則を無視したら、とばっちりを受けるのは無視した本人である。正しいということを突き詰めていけば、ただそれだけのことである。

ゆえに、この法則を発見し、示してくださったお釈迦さまにはどんなに感謝してもしきれるものではない。さらに、日蓮含め、あらゆる祖師達は、お釈迦さまの教えを説き広めてくださった大先輩であり、大恩人であるということを忘れてはならないと思う。

大事なのは、その正しいことをこれから子孫にどのように伝えていくか、その時々に合わせてやり方を工夫する必要があるということである。

日蓮の遠忌法要となる10月、正しいということの原点を振り返り、改めて心に留め置きたいと思う。

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深浦八段が王位に!

第七局(最終局)までもつれこんだ第48期王位戦は、深浦八段が羽生三冠からタイトルを奪取し、初のタイトル保持者となりました。

いやはや、正直、ちょっと意外でした。第四局の時点で深浦八段がタイトル奪取に王手をかけ、その後、第五、六局で羽生王位が追いついたときは、「やっぱり羽生は強えぇなぁ」と思い、そのままマクってタイトルを防衛するもんだとばかり思ってました。

これで羽生三冠は二冠になりましたが、とにかく竜王と名人をとってほしい。しかし、竜王の挑戦者は今年も佐藤二冠に決まり、永世竜王獲得は、またもや来年に持ち越しになってしまいました。A級順位戦も、羽生二冠はいまのところ2勝1敗と、これまた微妙なカンジ。

羽生二冠が永世七冠を獲得するまでには、あと数年かかりそうな感じですねぇ。いやいや、まだまだこれから!夢の永世七冠獲得に向けて、ぜひともパワーアップを図っていただきたい!

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浜田出張

出張で5日間ほど、島根県の浜田市に行って参りました。なにげに忙しく、あまりあちこち見にいくこともできませんでしたが、数少ないながらふらっと息抜きに行けた場所の一つ、ゆうひパークの駐車場から撮った写真をアップしてみました。



なんでも、日本海に夕日が沈む景色が絶景のポイントなんだとか。あいにくこの場所に日没まで居ることはできませんでしたが、この日は雲一つない快晴!さぞ夕日もキレイに拝めたことでしょう。

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信じるということ(その2)

以前、信じるということについて書かせて頂いた。そこで、親鸞(しんらん)が著された歎異抄(たんにしょう)にある一節「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」を紹介し、親鸞の信心の深さを味わった。

今回、その歎異抄から、もう一節紹介したいと思う。それは「たとい、法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」という一節である。この意味は、「法然にだまされたとして念仏を行い、その結果、地獄に落ちたとしても後悔はしない」ということである。

法然は、浄土宗の開祖であり、親鸞の師匠である。

それにしても、この歎異抄の一節にはおどろかされる。微塵の疑いも持たず、100%信じきっていなければ、この言葉はでてこない。これだけの覚悟を持って生きるならば、怖いものなど何一つないだろうと想像する。

一方、盲信もしくは狂信ではないかという恐れもあるが、それは反社会的な言動に及んだ場合のことである。しかし、実際、法然や親鸞の時代には、念仏は時の権力から弾圧され、流刑に処されたりもしているが、今の時代からすれば、間違っているのはその時代の権力であることは誰も疑わないのではないだろうか。

とにかく、八万四千の法門といわれる仏教経典の中から、法然や親鸞は念仏を選び出し、人にも薦める生涯を送ったわけだが、それはとりもなおさず、悩み苦しむ人々を救いたいという一心にほかならない。

自分が幸せになりたいということ以上に、この、人を救いたいという心があってこそ、ほんとうの信心が成立するのであると考えられる。

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女流王位挑戦者決定!

第18期女流王位挑戦者決定戦は、石橋女流四段が矢内女流名人を破り、タイトル挑戦権を獲得しました。

戦形は、石橋女流四段が得意とおっしゃっておられるゴキゲン中飛車から、向かい飛車への変化。2筋逆襲から銀引き、飛車の5筋再転換の指し回しはあざやかでした。ゴキゲン好きのワタシにとっても、とても勉強になる対局でありました。ごきげん・DE・ブログでの自戦記も楽しみにしております。

この勢いで、石橋女流四段にはぜひ女流王位のタイトルも奪取して頂きたいですね。ゴキゲン中飛車好きの一人としても応援しております!

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供養のあり方

以前、供養ということについていろいろ書かせて頂いた。先祖供養3をご参考願いたい。

そこでは主に、供養の意義的なことの紹介に終始し、具体的な方法については詳しく触れなかった。それは、当然ながら宗教や宗派の違いによってその方法は多種多様であり、全て紹介することはできないし、私自身、全て知っているわけでないからである。

しかし、神仏を敬ったり、先祖を供養するということの心境や姿勢には大きく共通する点があると思う。具体的には、花や香を捧げて場を清らかにする、飲食物などを捧げて感謝の誠を捧げる、手を合わせ、瞑目して頭(こうべ)を垂れて礼拝するなどの行為は、全ての宗教儀式に共通する行為である。

いや、無宗教の人であっても、特に日本人は、元旦にわざわざ神社や仏閣へ出かけて行ってお参りするなど、これも供養のあり方の一つであろう。ただ、この場合、供養ということよりむしろ、願望成就目的という意味合いのほうに片寄っていることも多いと思われるが、まあ、なにもしないよりはマシといえようか。

以前、供養とは、「供給(くきゅう)」と「資養(しよう)」という二つの意味から出来ている言葉であることを書かせて頂いた。供給とはさまざまなものを供えること、資養とは自分の心を養うこと、という意味である。こう書くと、2つの言葉が合わさった一つの単語ということになるが、実質的には、さまざまなものを供える供給という行為を積み重ねることによって、自分の心が養われ、整えられるということになるのである。

つまり、願望成就の目的のみで、いわゆるギブアンドテイクの発想で供養やお参りをするというのは、ちょっと違いますよ、ということである。あるいは、自分の精神修養の目的で供養やお参りをするということではない、ということにもなりそうである。いや、自分の精神修養を目的にすることが悪いといっているのではないし、それは大事なことである。

純粋に、神仏に畏敬の念を持ち、先祖に感謝の念を持ち、さまざまなものを供えたり、礼拝したりすることが最も大事なことであって、結果的に、自分の心が養われたり、もっと言えば願望成就にもつながるのだということがいえそうである。俗にいう「情けは人の為ならず」ということにも通じるだろうか。

さらに言えば、自分のためだけの行為というのは、えてして長続きしないものである。

神仏への畏敬、先祖への感謝を常に忘れず、その恩返しの心境・姿勢で日々生活することが一番大事なことと思われる。

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「実生活に生かせる仏教の追求」をメインテーマとしていますが、趣味の将棋や、その他、時事に絡んだ雑感などなど、気が向いたときに綴っております。どうぞ、おヒマなときに覗いてみてください。
2019年12月より山形県鶴岡市在住。
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