雑阿含経(ぞうあごんきょう)というお経に、四馬(しめ)のたとえという次のようなお話があります。
「第一の最高の名馬は、ムチの影を見ただけで走り出す。第二のいい馬は、ムチで打たれて走り出す。第三の普通の馬は、ムチで打たれ、皮が破れ血が出てはじめて走り出す。第四の駄馬は、ムチで何度も打たれ、皮も肉も破れ、骨に達して(骨身に沁みて)はじめて走り出す。」
このお話は割りと有名だと思います。名馬はムチの影を見ただけで走り出す・・・なるほど、と思われそうですが、これはたとえ話なので、もちろんこれで終わりなわけではありません。
人が、人の死目(しめ)を縁として、いつ正しい生き方に目覚めるか、ということに置き換えられます。
第一の人はアカの他人の死を縁として目覚め、第二の人は友人知人の死を縁として目覚め、第三の人は身内の死を縁として目覚め、第四の人は自分自身が死ぬ間際になってはじめて目覚める、というのです。
魂は永遠という概念はありますが、肉体は限りがあり、必ず誰しも死が訪れます。限りがあるからこそ、大事に、有意義に生きなければならないし、そのことにほんとうに目覚めることができたなら、自分の命も他人の命も等しく尊重する心も生まれてくるのではないでしょうか。
誰しも「死に向かって精一杯生きている」ということをよくよく認識する必要があると思います。
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