キリスト教でいうところの「愛」に相当するのが、仏教でいう「慈悲」である。
もっと詳しくいえば、「慈悲喜捨(じひきしゃ)の心」を略したのが「慈悲」である。慈悲喜捨とは、それぞれ以下のような意味がある。
慈とは、楽を与えてあげたいと思う心。
悲とは、苦しみを取り除いてあげたいと思う心。
喜とは、人の幸せを共に喜ぶ心。
捨とは、人に施した恩も、人から受けた害も忘れ、一切の報いを捨て去る心。
以上の四つの心を「四無量心(しむりょうしん)」といい、いわゆる仏性を詳しく分析した心である。そして、この仏性=四無量心は、善人であろうが悪人であろうが、どんな人の心にも備わっているのである、とお釈迦さまは説いている。
「自分にはそんな心はない」とか、「あの人にはそんな心があるとは感じられない」と思う人もたくさんおられるだろうが、それは、ただ単に「気付いていない」というだけに過ぎない、とお釈迦さまは説く。
では、どうすれば自分の、そして他人の「四無量心」に気付くことができるかというと、結局のところ、慈・悲・喜・捨の行ないを、ちょっとずつでも実行してみることによって、ちょっとずつ気付くことができるのだそうだ。
足元のことから、目の前のことから、まずはできることから実行していきたいと思う。
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