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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

人にやさしく自分にもやさしく

   
カテゴリー「仏教」の記事一覧

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自分を知るとは

ここ最近の記事を振り返ってみたら、格言のような記事ばかり投稿しておりました。ま、たまたまです。今回もこの流れで・・・(^^;

徳川家康が晩年の頃、家臣の一人が家康に教えを請うた。
「人生において大切なこととは何でしょうか?」
家康は、
「五文字と七文字のものがあるが、どちらがよいか。」
と言った。家臣は、
「できれば、両方をお教え願います。」
と言った。家康はこう答えた。
「ならば申す。五文字のほうは[上を見るな]、七文字のほうは[身のほどを知れ]である。」

上を見るなということは、下も見るなということであり、つまり、自分を見つめなさいということと受け留めることができます。そして、身のほどを知れとは、そのまんま、自分を知りなさい、ということのみならず、自分の程度を知れということなので、周りのこともよく知りなさい、という意味が含まれているように思われます。

ある種ぶっきらぼうな感じも受けますが、きわめて短い言葉で真理を言い表した、素晴らしい格言だなと思います。

自分を知りなさいとはよく言われることですが、何故自分を知らなければならないのでしょうか?これは、仏教の原始経典である「涅槃経」というお経で説かれている、いわばお釈迦さまの遺言が本になっているのではと想像します。

その経典に書かれているのは、「自灯明、法灯明」ということでありますが、自灯明とは、自分こそが自分の人生の主人公であるから、自分の進むべき道は、自分で判断すべきである。他人にゆだね、他人のせいにしてはならない、ということであります。

そして、法灯明とは、自分が判断するときのその基準は、法(真理)に照らし、法にのっとって行なわなければならない。あやふやなもの、よこしまなものを基準にしてはならない、ということであります。これはつまり、何が真理で、何が間違ったものなのかを見極めなさい、という意味も込められていると解釈できます。

自分を知ると同時に周りも知るということは、自分が成長するということでありましょうが、それにはやはり、いろんな出来事に真正面から取り組むことが必要と思います。さらに、楽しいことはやるけれど、つまらないことはやらない、もしくは、イヤなことは避けて通りたいということでは、目覚しい成長は望めないのではないでしょうか。

どんな出来事も、自分を成長させてくれるコヤシなのだという意識で取り組むことが大事なことのように思います。

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成就の条件

今日もいい話を聞いたのでメモっておきます。

第253世 比叡山延暦寺の天台座主、山田恵諦猊下の言葉で、次のようなものがあります。

物事が成就するためには3つの条件があります。一つ目は自分自身の努力、二つ目は周りの援助、三つ目は神仏のご加護です。

なんて味わい深い言葉だと思いました。ましてや、自分自身が本来持っている以上の力を発揮するには、二つ目と三つ目が必要不可欠であり、特に三つ目が重要ということです。

また、自分自身の努力とは、同じことを何百回も何千回も繰り返すことによって徐々に身に付くものであり、一夜漬け的に身に付けたような力は、すぐにしぼんでしまうことは誰しも経験のあることではないでしょうか。

結局、二つ目、三つ目の条件を整えるためには、自分の努力が一番の基本になることはいうまでもないと思います。

また、次のような詩があります。

くりかえし くりかえし
毎日毎日のくりかえし
同じようなことのくりかえし
心をこめてくりかえそう
楽しくなるまでくりかえそう
自分が変わるまでくりかえそう


飽きっぽいワタシなどには耳の痛くなる詩です。まずは、長続きさせる精神力を養わなければならない感じがします(^^;

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ばかになる

スポーツ界、ビジネス界、その他いろんなシーンで「ばかになれ」とか「ばかになる」ということがいわれる。

この「ばか」は、いわゆる愚か者という意味ではなく、「ばかである」ということとは全く異なる。むしろ「賢くなる」という意味が込められており、その道に一心不乱に取り組むとか、その道を究めるとか、かといって、融通の効かないガチガチの専門家になるということでもない、そういう柔軟な姿勢もひっくるめて「ばか」という一言に集約されていると考えられる。

どんな逆境に置かれようとも、それをバネにし、肥やしにできる精神、反対に、どんな有利な立場にいようとも、おごらず、甘んじることのない精神、そんな心も含まれているのではないだろうか。

仏教では、あらゆる存在は、孤立して生きているのではなく、あらゆる存在によって生かされていると説く。よい結果は皆のお陰、よくない結果は私の反省、という気持ちを持ち続けたいものである。

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科学はどこまで進化するか

「一休 逸話でつづる生涯」(安藤英男/著、鈴木出版)という本を読んだ。

一休とは、トンチの一休さんで有名な、室町時代の臨済宗のお坊さんである。テレビアニメの一休さんは、とても賢くて、トンチが上手で、かわいらしい小僧さんとして描かれており、たしかに幼少の頃はアニメのようなイメージでほぼ間違っていないようだが、青年期から晩年にかけての一休さんはかなり破天荒で、いわゆる「不良坊主」「なまぐさ坊主」というイメージがピッタリする人間像が伺える。

この著書には、主に中年期以降の逸話の、思わずふき出してしまいそうなお話が多く紹介されている。

その中で、晩年期近い頃の逸話の一つに、とても味わい深いものがあったので抜粋させて頂きたい。

あるとき一休のもとへ一人の老人がやってきた。
「私はもう80になりますが、死が近づいたようで落ち着きません。もう少し長生きができるようにご祈祷をしていただけませんか。」
そこで一休は聞いた。
「いったいどのくらいまで生きたいのですか。」
その老人は答えた。
「100までお願いできませんか。」
「あなたは欲が少ないお方だ。100まで生きればよいのですか。」
「いや、100までと定めたわけではないのです。もっと生きられれば尚いいのです。」
「それなら何歳まで生きられるように祈りましょうか。」
「それなら少し欲が深すぎますが150まで。」
「150でいいのですか。150といってもすぐに経ってしまいますよ。あなたは80歳だと言われましたが、150歳ではいままでの分ほどもありませんよ。」
老人はだまっていたが、やがて、
「人間って、いつまで生きたら満足できるものでしょうか。100になっても150になっても死ぬと決まるとあまりいい気持はいたしません。」
と言った。一休は、
「そうです。150年なんか夢のように過ぎてしまいます。」
と言った。こんどは老人が質問した。
「禅師さま、あなたはいくつまで生きるおつもりですか。」
「私たち坊主は、死なないことになっています。そういう祈祷を行なっています。」
「そういう祈祷があるのですか。」
「ありますとも。釈迦如来のご説法は全てそれです。つまり、不生不滅の法です。これによってわたしたちは法身になるのです。そうなれば死なないのです。肉身は死にますが、法身は死にません。経文の中にも、『転々としてこれを行ぜば、如来の法身常にあってしかも滅せず』とあります。だから、釈尊が80歳で亡くなられるときも、少しもなげかれなかった。かえって、法身ばかりになることを喜んでおられた。あなたも自分を法身にしてしまえば、生死は問題ではなくなります。」
こうして一休はじゅんじゅんに老人に説いた。老人は一休の弟子になって平和に往生できた。


つまり、本当の命というものは、肉体が無くなっても無くならず、そして、誰の命であろうとも、始まりも無く終わりも無く永遠に存在するものだ、ということを説いているわけである。

このことを今の科学で証明できるかというと、以前から何度も書いている通り、現時点では不可能である。

さて、ようやく本題に入るが、今の世の中で一番危険と思われるのは、科学で証明できないことはほぼ無条件に却下される、ということである。今の科学が間違っているとまでは言わないが、未熟だと考えたほうがよほど謙虚と思うのだが、そう考える人が少ないのではないだろうか?

妙法蓮華経というお経の中の、如来神力品という章に、「未来において、科学と宗教は一致する」という意味のことが説かれているが、それを踏まえると、科学はもちろん宗教も、現時点では未完成なのであるといえると思う。

要するに、人そのものも未完成ということがいえるわけで、常に謙虚な心で、向上心を失わないようにしたいものである。

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少欲知足

仏教の教えに「少欲知足(しょうよくちそく)」というのがある。仏教の教えというよりは、お釈迦さまの教えを学んだ結果、自然に湧き上がった仏教徒の心構えといったほうが適切かもしれないが。

少欲知足とは、読んで字のごとく、「欲することを少なくして、足りることを知る」ということである。よく仏教は、無欲、つまり欲をなくす、滅することを説いていると思われがちだがそうではない。

人間の基本的な欲求である「食欲、性欲、睡眠欲」をなくすることなど不可能であるし、なくそうと努力することなどはムダなことである。これらの欲求が良いか悪いかなど論じることすらムダなことであり、お釈迦さまは「無記である」とおっしゃっておられる。(欲にとらわれ、際限なく貪ることがよくないのであって、これを煩悩と呼んでいる。欲イコール煩悩ではない。)

少々話がそれたが、要するに、旨いものをたくさん食べたいとか、お金をたくさん稼ぎたいなどなど、常に欲張っていると、満足することを知らず、いつも不平不満の心になってしまう。多欲不知足である。

極端にケチになるということではなく、必要最小限で満足する心が養われれば、自然に「ありがたい」という気持ちにもなれると思う。

少欲知足、いつも心得ておきたいものである。

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百匹目の猿

百匹目の猿現象というのをご存知の方はけっこういらっしゃると思いますが、百匹目の猿現象 発祥の地 記念碑が建てられているということまでご存知の方は、あんまりいないのではないでしょうか?私もついさっき、たまたまネットで見つけて知りました(^^;

さて、この百匹目の猿現象とは、宮崎県、幸島のある1匹のサルが芋を海水で洗って食べ始めたところ、それを回りの猿達もマネをし、そこの猿達全員がそうするようになったとたん、遠く離れた大分県の高崎山の猿達も芋を洗って食べるようになったという現象ですが、科学的には全く証明できない不思議な現象なわけです。

シンクロニシティやら集合的無意識やら、むずかしい学説に結びついたりしているようですが、仏教的に考えると、ごく普通にありえることだと思います。前々回のブログで紹介した「一念三千」などでも説明できます。ただし、心はこの世の肉体だけでなく、あの世とこの世にまたがって存在している、ということを認める、もしくは信じることが前提となりますが。

とにかく、この百匹目の猿現象は、もちろん猿だけでなく、人間にも当てはまることは容易に想像できると思いますし、むしろ、いろんな思惑が渦巻いている人間界では、知らず知らずのうちに同様の現象がいたるところでいろんな形で発生していると考えられます。

だからこそ、できるだけ大勢の人が集まっていいことを思ったり、祈ったり、行動したりすることは非常に大事なことだと思います。

いいことをたくさん学んで、どんどん広めていけるようになりたいものです。

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信じるということ

浄土真宗の宗祖、親鸞(しんらん)の著書に「歎異抄(たんにしょう)」というのがあります。この中に面白い一節があります。

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。」

この意味は、「善人ですら成仏できるのだから、ましてや悪人はなおさらのこと成仏できるのです。」というのですが、常識的に考えると、逆じゃないの、という感じがしませんか?悪人ですら成仏できるのだから、善人はなおさらだよ、というふうに。

ではどういうことなのか。この点は、親鸞が説かれる阿弥陀信仰の究極的なところのようで、善人というのは、いわば努力して良い行いを積み重ね、仏の境地に近付きたい(成仏したい)という人であり、阿弥陀如来を信じきっておまかせする気持ちが薄い人なのであるということです。

そして、悪人というのは、いわゆる法律違反、道徳違反をする極悪非道な人ということに限らず、煩悩を自分自身の力で制御することのできない凡夫という意味ですが、こういう人のほうがむしろ、信仰心が篤いのだと親鸞は説かれています。

そもそも仏教は、どちらかというと努力主義の教えなのですが、その努力とは、確固たる信仰心の上にこそ成り立つのであるとも教えられています。つまり、親鸞は、仏教の中の、純粋に信仰心の部分のみを取り出して体系化し、宗派を開いたと想像できます。

また、妙法蓮華経というお経には、お釈迦さまのお弟子の一人の舎利弗(しゃりほつ)という人が、お釈迦さまの説法を聞いて弟子の中で一番最初にお釈迦さまの真意が理解でき、自分も仏に成れるのだということが分かって大喜びし、お釈迦さまに感謝を述べるシーンがあるのですが、ここでお釈迦さまは舎利弗に対して、「あなたが私の教えを理解できたのは、あなたが努力したからというよりむしろ、あなたが私の教えを信じるその心が基になっているのですよ。」ということが説かれています。

イワシの頭も信心から、などという諺もあるように、あらゆる行動を起こすもとは「信じる」ということであるといえると思います。床屋に行って自分の顔のひげをカミソリで剃ってもらうのでも、「もし首を切られたりしたら・・・」などと疑っていたら、とても床屋になんぞ行けないでしょう。

かといって、盲信という言葉もある通り、無条件になんでもかんでも信じるのは危険であり、ある程度の判断基準は必要になると思います。

一番の目安は、何十年何百年と長ーく続いている事柄なら、大抵は信じるに値するといえそうな感じがします。あとはやはり、自分自身の直感を磨くしかなさそうです。そのための努力と、信じるということは、やはりどちらが先ともいえなさそうですね。

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一念三千

ミッション1017、どうでしたかね?何か変化は感じられたでしょうか?

私は、まったく普段通りの生活でした(^^; よくよく考えたら、善い想いもそうでない想いも、全部ナントカ倍に増幅されるってことは、絶対数には関係なく、全て平均的に増幅されるというわけなので何も変わらないってことですよねぇ。

ま、とにかく、善いことを(というか良い方向に)考えましょうということ自体はイイことに違いないと思うので、そのことが再確認できたという意味ではいい話題だったなーと思います。

さて、仏教には、「一念三千(いちねんさんぜん)」という思想があります。これは、仏教にはというより、中国天台宗の開祖である智顗(ちぎ)という、とてもエラいお坊さんが、膨大な仏教経典をさまざま吟味された結果、辿りつかれた一つの法則ともいわれるものです。そう、智顗は、比叡山延暦寺ならびに日本での天台宗を開かれた、最澄(さいちょう)の師となられる方です。

その「一念三千」とは、簡単にいうと、「善いことも悪いことも、ある一人が心に思ったことは、三千の世界に影響を及ぼすのである」ということです。

三千の世界ということを詳しく解説するとトーッテモ長くなりますので別の機会にゆずりたいと思いますが、簡単にいうと、自分の心と身体を含めた世界中の人びとの心身、さらにはあの世をも含めたありとあらゆる心身と場所と時間っていうんですから、あらゆる時空の宇宙全体ということになりましょうか、そういう、壮大な世界ということです。

つまり、たった一人が、なんら行動を起こさずに心に思ったことでも、宇宙全体に影響を与えるんですよってことです。

逆にいえば、私たち一人一人が、ありとあらゆる存在から、良くも悪くも常になんらかの影響を受けながら存在しているということになります。

持ちつ持たれつという考え方は、このへんの思想が大本になっていそうな感じがしますね。

まぁこれも、実証できるわけはなく信じるしかないのですが、このように考えながら善いことを心に抱きつつ行動できたほうが、窮屈に感じるよりむしろ、自分にも他人にも、その存在自体に心の底から有り難い思いが湧いてくるのではないでしょうか?

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ミッション1017

ミッション1017。

巷ではどうか分かりませんけど、ネットの世界では結構な話題になっています。

以下、上記リンクからの抜粋です。


2006年10月17日午前10時17分から18日午前1時17分の間、あなたの想念が100万倍に増幅され、願いの現実化のスピードが速くなります。
ネガティブな想念を抱かないように注意して、愛、繁栄、癒し、富、親切、感謝などのポジティブな想念に集中してください。
地球と人類を救うチャンスです(^^)/



なーんか、新手のチェーンメールか、都市伝説のたぐいか、どっかの新興宗教のプロモーション活動の一種かと思いましたが、ポジティブシンキングということ自体はよいことだと思いますので、無碍にすることもないかなと。

なのでさっそく、ヴィパッサナー瞑想として有名な(と思いますけど、初めて聞く方すみません)、「慈悲の瞑想の言葉」を掲載させて頂きます。


私が幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私が幸せでありますように(3回)

私の親しい人々が幸せでありますように
私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい人々の願いごとが叶えられますように
私の親しい人々にも悟りの光が現れますように
私の親しい人々が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものにも悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

私の嫌いな人々も幸せでありますように
私の嫌いな人々の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々の願いごとが叶えられますように
私の嫌いな人々にも悟りの光が現れますように

私を嫌っている人々も幸せでありますように
私を嫌っている人々の悩み苦しみがなくなりますように
私を嫌っている人々の願いごとが叶えられますように
私を嫌っている人々にも悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)
 



それからもういっちょう!仏教の三宝帰依文も掲載させて頂きます。


自ら仏に帰依したてまつる
まさに願わくは衆生と共に
大道を体解して無上意をおこさん

自ら法に帰依したてまつる
まさに願わくは衆生と共に
深く経蔵に入って智慧海のごとくならん

自ら僧に帰依したてまつる
まさに願わくは衆生と共に
大衆を統理して一切無碍ならん



ポジティブシンキングは今日一日だけでなく、日々意識できるようになりたいですね。

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人格(霊格)グラフ

仏教の、ある一つの経典に限らずあちらこちらに、よく寿命増益(ぞうやく)ということが説かれている。悩み苦しむ人を大勢救うことによって、今世での寿命が延びるということである。

いままで、あまり深く考えなかったのだが、「生まれ変わり」は有るということを前提にいろんなことがらに触れるようになってから、寿命が延びるということの意味を再度よく考えてみたいと思い、いろいろ調べたりしながら、私なりの気付きが得られた。

まず、私たちは仏性という神仏と同じ性質を本々備えているので、「善いことをしたい、向上したい」という思いを誰しも持っている(まあ、同時に、欲の心、怒りの心、愚痴の心、争いの心という、四悪道といわれる心も備えているのであるが)。そして、実際に善いことをし、向上するためには、肉体が必要なようである。見方を変えると、霊界にとどまっていたのでは、善いことも悪いこともできないということのようだ。

なので、たいていの人は、本能的に「長生きしたい」という願いを持っているのだと思える。

縦軸を人格(もしくは霊格)、横軸を時間にしとき、肉体を持っている間は、善いことをすれば右上がりに向上し、悪いことをすると降下する。霊界にいるときは横ばいになるという感じのグラフが描けそうだ。

これまで自分は何回生まれ変わって今世を生きているかなど知る由もないが、果てしない時間の流れの中で、今の自分の人格(霊格)はどこらへんに達しているだろうかなどと想像してみるのも面白いのではないだろうか。

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「実生活に生かせる仏教の追求」をメインテーマとしていますが、趣味の将棋や、その他、時事に絡んだ雑感などなど、気が向いたときに綴っております。どうぞ、おヒマなときに覗いてみてください。
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