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2,500年前、お釈迦様が悟られたのは、あらゆるものは仏の智慧を具え光り輝いている、ということでありました。そして、そのことに気付いて生きていけばよいのだよ、と。

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カテゴリー「仏教」の記事一覧

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お盆

自分たちの先祖や亡くなった人たちが霊界で苦しむことなく、成仏してくれるように、子孫が祈り、供養する行事がお盆であることは広く知られていることと思います。

現在、お盆といえば、8月15日を中心に、8月13日を迎え盆といいお墓参りなどを行い、8月16日を送り盆といい、庭先で送り火を焚いたりする風習がありますが、正式には、その1ヶ月前の7月15日を盂蘭盆(うらぼん)といい、上記の行事を行います。

元々盂蘭盆とは、サンスクリット語のウランバナが語源になっているといわれ、ウランバナとは、直訳すると倒懸(とうけん:逆さづり)の苦しみという意味です。

お釈迦さまの二番弟子である目連(もくれん)が、神通力で霊界を見たところ、亡くなった母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることを知り、お釈迦さまに母を救うにはどうしたらよいか指導を請うたところ、7月15日に大勢の僧を真心から供養しなさいと教えられ、その結果、母親を餓鬼道から救うことができたということです。

母親が餓鬼道の苦しみを受けなければならなかったのは、我が子を大事に思うがゆえに、自分の子どものことしか考えられず、他の人たちのことを省みない、自己中心の心が強かった罪によるものだったとのことです。

つまり、盂蘭盆は、先祖の供養をすることと同時に、自分さえよければという、いわゆる自己チューの心を省み、他の人を思いやる心を取り戻しましょうという意義も含まれているわけです。

そんな心で、今年のお盆も迎えたいものですね。

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いってきます→いってまいります

今日も「なるほど」と思う話を聞いた。

朝(朝ではない人もいるかもしれませんが一般的に)、家を出るときになんて言いますか?

いってきます、という人が大半だと思うが、その「いってきます」という言葉に対する返事は何かというと「いってきなさい」もしくは「いってきな」というのが正しい日本語だそうな。

ならば、ふつうよく聞く「いってらっしゃい」という返事をもらうための言葉は何か。それは「いってまいります」だそうである。

なるほどー、と思った。

また、少しつっこんで意味を調べると、「いってきます」というのは、たんに行って来るだけというのに対し、「いってまいります」は行って参りますということから、いわゆる神社仏閣をお参りするときのようなある種真剣な気持ちがこめられており、何かを学んで帰ってくるという前向きな意味を含んでいるのだそうだ。

つい口癖で「いってきます」と言ってしまいがちだが、上記のような深い意味があることを鑑み「いってまいります」とつとめて言うようにしたいものである。

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時間銀行

今日もまたちょっといい話を聞いたので、さっそくメモっておきます。

ただ、これ、時間銀行で検索したら結構同じ内容の文面があちこちにありました。もし著作権に抵触するようならご指摘ください。

「次のような銀行があると、考えてみましょう。

その銀行は、毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。

つまり、86,400ドルの中で、あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。あなただったらどうしますか?もちろん、毎日86,400ドル全額を引き出しますよね。僕たち一人一人が同じような銀行を持っています。

それは時間なのです。

毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。

それは、翌日に繰り越されません。それは、貸し越しできません。毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。

そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。

もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。過去にさかのぼることはできません。

あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を 引き出しましょう。

時計の針は走り続けてます。今日という日に、最大限の物を作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。

1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。

1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

10分の1秒の価値を理解するには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだから、十分に大切にしましょう。その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

そして、時は誰にも待ってくれないことを覚えましょう。

昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。

明日は、まだわからないのです。

今日は与えられたものです。だから、英語では今をプレゼント(=present)といいます。」

時間の大切さを鋭くアピールしてますよね。じゃあ、その大切な時間をどのように使ったらよいのか、結局これは人それぞれなんスよね。

まあしかし、時間って大切なんだって、常々意識して生活できるだけでも、かなり違った、有意義な人生が歩めそうですね。

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為せば成る

 為せば成る

 為さねばならぬ

 何事も

 成らぬは人の

 為さぬなりけり

この言葉は非常に有名であろう。しかし、誰が詠んだかまで知っている人はあまり多くないのではなかろうか。

答えは、米沢藩十代藩主の上杉鷹山(うえすぎ ようざん)という人である。

と聞けば、割とご存知の方も多いと思われる。藩主当時、たいへん貧困をきわめた米沢藩の財政を、質素・倹約の精神をもって、見事黒字に転換させたというお方である。

今の時代でも、特に政財界の方々などには有名であり、経済が下向きの世の中になったときなど、この上杉鷹山の精神がよく持ち出されたりする。

そして、かのアメリカ元大統領ジョン・F・ケネディに、ある日本人記者が「日本の歴史人で尊敬する人はいますか?」という質問をしたところ、大統領は「ヨウザン・ウエスギ」と答えたそうだ。しかし、そのとき質問した当の日本人記者は、上杉鷹山のことを知らず、あとからあわてて調べたというのも知る人ぞ知るエピソードである。

ところで、鷹山は米沢藩の十代藩主であるが、初代藩主は誰かご存知であろうか?そう、上杉謙信である。そして、その上杉謙信の宿命のライバルといわれた戦国時代の殿様は、武田信玄である。

さて、ここからが本題。「為せば成る・・・」は鷹山が言った言葉であるが、その200年以上も前に、武田信玄は次のような言葉を遺している。

 為せば成る

 為さねば成らぬ

 成る業を

 成らぬと捨つる

 人のはかなさ

やればできるはずのことを、やらないのが人だ、あー情けない。といった意味にとることができる。

つまり鷹山は、信玄が詠んだ、ある種なげやりな意味が感じられるこの詩を、人に奮起させるように言い換えたのだ。

鷹山から見れば、自分のご先祖様の宿命のライバルの詩をアレンジしたわけであり、一見盗作のようにも感じられるが、より発展的に表現を変えている分はいい意味で評価できると思う。

ま、そういうことも含めて「為せば成る」なのだ。

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祈る

仏教に限らず、ほとんどの宗教には「祈る」という行動があると思われる。いや、宗教にとどまることではない。人間の本能であるかもしれない。

祈るとは、他の幸せを心の底から真剣に願うことである。ちなみに、他の不幸を願うことを「呪(のろ)う」という。

多くの人が、お互いに他の幸せを祈るような世界は、とてもあたたかい世界であろう。そして、祈る行為を続けていると、自然にそれが行動に表れてくるであろうことが想像される。

「頑張れ!」と声に出して応援したり、困っている人を見て「大丈夫?」と声を掛けたりということが自然にできるようになる。

結果的に、それは、自分自身を幸せにするものであることは間違いないと思われる。

ところが、他の不幸を願う「呪う」という心理も、人間には本能的にそなわっているように思われる。

呪うとまではいかずとも、幸せな人を見て怨んだり妬んだりするような心は誰にでもある。

しかし、この呪う心を表に出さず、祈る心をどこまでも育んでいくのが人生なのだといっても過言ではないのではなかろうか?

祈る心を育むためには、やはり、少しずつでも祈る行動を実戦していくのがよい。行動が心を育て、心が行動に移しやすくする、というように。

祈る心を意識して大事にしたいものだ。

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今日もちょっといい話を聞いたのでメモっておくつもりで。

時=タイミングである。

何ごとにも時というものがある。こういう言い方をする場合は、暗にいい意味での時、いいタイミングということである。

いい時をのがさず物事を成す、ということの積み重ねが、つまりはいい人生といえるのである。

では、そのいい時というのはいつのことか?いつやってくるのか?それは今のことである。常に今が一番いい時なのだ。

そして、そのいい時は誰のお陰か?それは、今一番身近にいる人やモノのお陰である。

今目の前に奥さんや旦那さんがいる人は、「あなたのお陰でいい時を過ごせています。」と言いましょう。

今目の前に子供がいる人も同様。親がいる人も同様。友人がいる人も同様。先生がいる人も同様。教え子がいる人も同様。職場の仲間がいる人も同様。お客さまがいる人も同様。営業マンがいる人も同様。アカの他人がいる人も同様。

誰かが居なくても、テレビがあれば、テレビに向かって「テレビのお陰でいい時を過ごせています。」と言いましょう。ラジオがある人も同様。本や雑誌がある人も同様。

目の前にまったく何もない人は「空気のお陰でいい時を過ごせています。」と言いましょう。

多からず少なからず、この積み重ねによって、いい人生が築かれていくのである、ということであった。

しょっちゅうはムズカシイかもしれないが、時々(シャレ)思い出して実行したいものだ。

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有り難い

ありがたいを漢字で書くと「有り難い」である。

誰でも知っていることであろうが、さて、「有り難い」とは突き詰めるとどういう意味だろう。

そのままの意味を違う表現で置き換えたら「有る(存在する)のが難しい」ということになるが、つまりは、希少価値の高いもの、滅多にないものを目の当たりにしたときに起こる感情が「有り難い=ありがたい」ということなのだろう。

そう考えると、普通に使っている「ありがたい」「ありがとう」という言葉は、たいへん含蓄のあるものだということが察せられる。

シチュエーションとしては、他人から、自分にとって有益なことをしてもらったときなどに「ありがとう」という言葉が口から出てくると思うが、「有るのが難しい」という意味あいがあることも考えると、無益もしくは有害なことをされたときにも「ありがとう」という応答が成り立つように思われる。

要するに、一見、無益なこと有害なことでも、こちらの受け取り方次第では、毒にも肥やしにもできるということではなかろうか。

その、肥やしにする言葉が「ありがとう」なのだとも解釈できる。うん、きっとそうだ。

できるだけ多く「ありがとう」を口にしたいものだ。

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今日、ある人たちが我が家を訪ねてきた。

見知らぬ方だったので玄関先で出迎えたのだが、お二人でいらっしゃったその方たちのお一人がお話を始められた。

「私たちはエホバの証人のものです。突然伺いましてすみませんが、聖書をお読みになられたことはありますか?」

ほほう、布教にこられたのだなと思い、無礙に門前払いする理由もないので、てきとうに相槌を打ちながら聞いていたのだが、その方がおしゃるには、聖書では、魂というものは生きている肉体にのみ存在するもので、死んだら魂もなくなる。

だから生きている間に精一杯いいことをしなければならないと書かれてあります、というようなことだった。

そのあとものらりくらり話を聞き、最後にその方たちは、「お話を聞いて頂いてありがとうございました。」とおっしゃられて、パンフレットを1枚置いてお帰りになられた。

さて、話をきいているときは特に肯定も否定もせず「はあ、そうですか」とか言いながら聞き流していたのだが・・・。

魂とはそもそもなにか?
魂が生きた肉体に有ると、なぜいいことをしなければならないのか?
死ねば魂は無くなると、どうして断言できるのか?

これらの疑問をぶつけてみたいとも思ったが、まーいいやと思ってしまい口をつぐんだ。

そのへんが私自身の優柔不断な性格であり、よくいえばおおらかなところでもあると自己分析している。

ま、私の性格は置いておいて、たしかに、仏教では輪廻転生(生まれ変わり)を説いているお経もある。

ただ、お釈迦様は、魂というものが存在するとも存在しないとも、断言されてはおられない。ただ「無記である」とおっしゃっておられる。

無記とは、どちらも証明ができないことなので無意味である、ということである。

しかし、仮に魂というものが存在して、肉体が亡くなっても魂は永遠に存在すると思ったいたほうが、むしろそのほうが自然に、永遠に残る魂を汚す行ないをしてはならないという感情が芽生えるのではないだろうか。

魂の議論は、おそらく永久に解決しない命題であろう。

だから、そんな議論に無駄な時間を費やさず、お釈迦様が悟られた、苦を乗り越えて、ほんとうの人間らしい生き方に目覚め、それを現実の生活に生かしてくことが大事なことであると改めて認識させて頂くものである。

そんな意味では、訪ねてこられたエホバの証人のお二人にはお礼を言いたい気持である。

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縁起

仏教の根本的な思想に「縁起」という概念がある。

縁起とは、読んで字のごとく「縁りて(よりて)起こる(おこる)」ということである。

つまり、あらゆる出来事とか物事は、偶然そうなったとか、自分の意思とは関係のない存在によってそのように施されたとか、そういうことは無いのだ、ということである。

すなわち、自分の目の前に起こるあらゆる現象は、すべて自分が(自分の意思が)影響している、という概念が縁起である。

・・・と、まあ、いきなりこんな結論めいたことをいうと「何をいってやがる!」と反論されそうだが、冷静に考えると、たいていのことは、やはり自分が蒔いた種の結果と受けとめることができるのではないだろうか。

「自業自得」などという四字熟語は、まさにそういうことを示唆されているのであろう。

またさらに、ネガティブな面ばかりでなく、ポジティブな面も含まれているように思う。

よく、学校が悪いとか、政治が悪いとか、社会が悪いとか、ということを耳にするが、仮に、その悪い学校とか政治とか社会を、良いほうに変えるのは誰であろうか?

突き詰めれば、自分の目の前の現象や環境を変えることができるのは、ほかならぬ自分以外の何者も存在しない。

いやいや、そんなこといったって・・・というようなことがあまりにも多い昨今ではあるが、まず、ちょっとしたことでもいいから、まずは自分が発信源になって、よりよい環境にしてやろうという気概が必要なのではないだろうか。

そんな人が増えていけば、もっとよりよい環境というものは、遠い将来などという長期計画的な話でなく、すぐにでも具現化できるものだと思う。

・・・ちょっと熱く語り過ぎましたかね^^;

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守破離

少しでも洗練された内容のHPにしたいと思い、仏教書を読み返してみた。いやぁ、やっぱ結構忘れていますね。

お釈迦様は、最初から自力で悟りをひらこうと努力されたのではなく、まずは自分の師匠になりうる人を探したんですね。

守破離(しゅはり)という言葉がありますが、ある道を究め、すっかり自分のものにしようと思ったら、まずは旧来の手法のようなものを学んで体得する。

それができたら、その旧来の手法を破って、そこから自分の新しい世界を切り開いていく。

基本があっての応用ということも、守破離に通ずるものですね。

「悟りをひらく」などという大層なことでなく、どのような道を進むにしても、この守破離という考え方はあてはまりますね。

それを約2500年も前に、お釈迦様は実践されていたのだということに思いを巡らすと、やはり偉大なお方だったのだなぁと、素直に感じます。

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