2ヶ月弱ぶりの更新です。
3.11の大震災から4ヶ月が過ぎましたが、とりわけ家族を亡くされた方の悲しみは、人により悲しみの深さ浅さは違いましょうが、解消されることは当分ないと思います。
しかし、日本には法要の風習がありますので、四十九日、百箇日、一周忌、三回忌等々、それを一つの区切りとして、故人に供養を捧げ、偲び、遺された者として現実に向き合い、悲しみがよみがえってくることもありましょうが、新たな一歩を踏み出す機会とすることができるのだと思います。いや、悲しいときは大いに涙することも必要ですし、涙することが最適な癒しにもなりえます。
さて、本日は盂蘭盆です。先の法要の他に、年中行事として、盂蘭盆やお彼岸もあります。盂蘭盆やお彼岸も、故人に供養を捧げ、偲び、新たな一歩を踏み出す機会とする意味で、年忌法要と目的はほぼ同様と考えてよいと思います。
この「新たな一歩を踏み出す」ということが、言うは易し、行なうは難しなわけで、どうしたら新たな一歩を踏み出すことができるかということが命題になります。
そんなとき、「孝は百行の本(こうはひゃっこうのもと)」という諺に出会い、つくづく日本は素晴しい国だと思わされましたが、これの出所を調べてみると、中国の十三経の一つ、「孝経」という経書だということが分かりました。
これの意味は、読んで字のごとく「親孝行は、あらゆる行ない(特に善い行ない)の大本である」ということです。
仏教では、一番の親孝行とは「親に安心してもらうこと」と教えられていますが、より率直にいうならば、「産んでくれたことそのものに感謝ができること」であります。さらに広げれば、家族、親族、友人知人、あるいは見ず知らずの人や全ての物事に対してさえも、陰に陽に支えてくださっていることに感謝ができることが大事なことといえます。
「衆生病めば仏病む」という言葉もあるように、家族や親しい人を亡くしたことに、悲しむこと以外できないとしたら、最も悲しむのは亡くなったその人である、ということになります。
「あなたのお陰で今の私があります。ありがとうございます。」という気持ちこそが、故人にも喜んで頂き、なにより自分自身が新たな一歩を踏み出せる大きな動機になりえるのだと思います。
「孝は百行の本」、人生の指針の一つにしたい、高貴な言葉であります。
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