先日、いい話を聞きましたので、メモっておきたいと思います。
ロウソクは、どんなときに使うでしょうか?
仏壇の前で手を合わせたり、慰霊碑に祈りを捧げたりするとき、あるいは、ウエディングケーキやバースデーケーキに立てたり、結婚式のキャンドルサービスなど、いわゆる一つの儀式を催すときに使われます。
その他、このたびの大震災においては大規模な停電になりましたが、そういったときにも、電気が復旧しない間、明りを得るためにロウソクのお世話になった方も大勢いらっしゃることと思います。(私もその一人です。)
つまり、ロウソクを使う側からすれば、神聖かつ荘厳な雰囲気を醸し出す温かさや光としての明るさを得たいときに使うということになります。
見方を変えて、ロウソク自身の立場からするとどうでしょうか? ロウソクは、芯に火が着けられたので、そのまま燃え続けているだけです。結果的に、周囲に温かさや明るさを与えているということです。
ロウソクを使う側からすれば、温かさや明るさを得る目的に使うことはあっても、ロウソク自身は、何か目的があるわけでも、見返りを求めるわけでもなく、たんたんと自分自身を燃やしているだけだというのです。
これは、人間の正しい生き方を示唆しているということです。つまり、世のため人のためになる行動は、もちろん尊いことでありますが、それは本当の目的ではなく、あくまで、自分自身の真の役割を自覚し、なすべきことをたんたんと実行し、燃焼させていくことこそが真の目的であると。そして、二次的にというか、結果的にというか、周囲に温かさや明るさが及ぼされるということになります。
つまり、自分自身の真の役割を自覚することのほうが第一義であり、周囲に温かさや明るさが及ぼされている状態は、真の役割を自覚していることの証明になるというわけです。
逆にいうと、周囲に温かさや明るさを及ぼさず、迷惑や害悪を与えているならば、自分自身の真の役割を自覚していない、ということなるというのです。
以前に何度も紹介させて頂いた、お釈迦さまのいわば遺言ともいえる「自灯明・法灯明」という教えがありますが、そのことのたいへん分りやすい解釈と感じました。
同時に思い起こされることとして、「人の為」を漢字一文字で表わすと「偽」となりますが、これは、短絡的に、人の為になる行動が偽りの行動ということではけっしてなく、あくまで自分の役割を自覚するとか、自分を向上させることこそが真である、という意味にとらえるべきと考えられます。
自分は、周囲に温かさや明るさを及ぼしている存在か、けむたがられる存在かどうかということがひとつのチェック項目ではありますが、かといって気にし過ぎることもなく、自身の向上につとめてまいりたいと思います。
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