大変ご無沙汰いたしておりました。更新していない期間中も、拙ブログにご訪問くださいました皆様に感謝申し上げます。
このたびの東日本大震災に際し、弊会建屋に泊り込んでの救援活動は、4月一杯をもってひとまず区切りをつけ、GW明けから個別の救援活動に取り組むこととなりました。
ひと区切りついた早々、本ブログでもご報告せねばという思いは心の片隅にありましたが、私の知人も数名、震災の犠牲となって命を落とされ、他の知人にも、祖父母や両親を亡くされた方、ご主人を亡くされた方、奥様を亡くされた方、お子さんやお孫さんを亡くされた方も多くおられる中、現実の悲しさ、悔しさ、辛さがのしかかり、私自身、心の整理がつかない状況がありました。
私の知人は、不幸中の幸いにしてご遺体も発見され、火葬もでき、葬儀にも参列させて頂きましたが、いまだにご遺体が見つからず、ご遺体がみつかっても斎場が一杯で火葬もできず、葬儀・告別式すらできない方々も大勢いらっしゃると聞いています。
改めて、犠牲になられた多くの方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。
3月11日14時46分の地震発生、いわゆる3.11の状態のまま、命が助かっても、心の時計が止まってしまった方が大勢いらっしゃいました。今もってそういう方々もいらっしゃることと思われますし、私自身も「あの出来事は、いったいなんだったんだ?!」と、夢を見ていたのではないかと錯覚するような思いになることもしばしばあります。
しかし、無期限に悲しんだり、悔やんだりしていてもどうにもなりません。このような非常事態だからこそ、現実を直視し、受入れ、そこから這い上がって、震災発生直前の時以上に、よりよい社会に復興させるための一助に、一人ひとりが、私が立ち上がらなければという強固な決意が大事なことだと思います。
震災直後から、自衛隊の方々はじめ、全国からのボランティアの皆さんが、この仙台にも大勢いらっしゃいました。津波によって無残に流された家屋や車は瓦礫と化し、沿岸部の道路を覆いつくしておりましたが、それらも迅速に撤去されております。
そうした中、流失や全壊を免れたお宅やお店であっても、床上1メートル以上も海水に浸かり、ほとんどの家財道具を処分しなければならないお宅もたくさんあります。そういうお宅に出向いて、家屋に流れ込んできた瓦礫の撤去や、床の清掃・消毒、畳の運び出し等、私も微力ながらお手伝いをさせていただきました。
そうした震災後の対応の中で、一番深く感じたことは、自分も何かお役に立ちたいという思いで、いてもたってもいられず、被災地に馳せ参じた方々がこんなにも多くいらっしゃったのだ、ということでした。
ボランティア活動が好きで、いろんな施設の清掃奉仕や募金運動などに尽力される団体や、そういった団体に所属して積極的に活動される人は昔から多くいらっしゃったと思いますが、特にそうした方々ではなく、むしろボランティアなどに全く興味がなかったような人が、この震災を契機として何かに目覚めたといえるような方々。
また、そういう方々は、人の役に立てることが喜びであり、ボランティアを必要としてしてくださる方がおられることそのものに感謝しつつ、自身の成長の糧にされておられます。そんな人のことを、仏教では菩薩と呼び尊んでおりますが、実際にそうした方々とも大勢出会いました。
妙法蓮華経というお経の中の従地涌出品第十五という章に、地面から涌き出てきた菩薩の話がありますが、地面から涌き出るという意味は、現実の苦しみを突き破り、乗り越えることだと解釈されています。まさしく、このたびの震災の苦しみを乗り越えた方々である菩薩が大勢現われたということであるといえると思います。
復興には、そうした菩薩の活躍が極めて大きな力となります。なんの見返りも求めず、世のため人のために一心に働くことが、結局は自分のためであるという、そのことを改めて肝に銘じ、これからあと何年かかるかわからない復興活動ではありますが、一歩ずつ取り組んでまいりたいと思います。
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