明日8月15日は、61回目の終戦記念日である。
ところで、この「終戦」という表現はくせものである。たしかに日本は、1945年8月15日に、第二次世界大戦に全面降伏し、その後、永久に戦争を放棄するという条文を盛り込んだ憲法を打ち出したことによって、8月15日を終戦記念日と定めた。
しかし、中国や韓国の、いまなお続く反日感情や、北朝鮮やイスラム圏の問題などを鑑みると、「終戦」というのは、日本国のみの自己満足でしかないのではという感想も持たれる。
従って、たんに「終戦」の記念日ということよりむしろ、平和を築く記念日という意義に重きをおくべきと考える。
そして、この8月15日を中心に、各地で戦没者慰霊のイベントが執り行われるが、この「戦没者」という表現がまた微妙だ。
戦没者というと、戦争に出向いて戦地で殉死された大勢の兵士を暗に指しているが、戦争によって命を落としたのは、日本の兵士だけでなく、相手国の兵士も大勢おり、また、お互いの攻撃によって、直接戦いに加わっているわけでもない、実際には兵士の人数よりはるかに多い一般市民が、その尊い命を落としているのである。
つまり、「戦没者」というあいまいな表現ではなく、より的確に「戦争犠牲者」という表現を一般化すべきと考える。
小泉首相が靖国神社を参拝されるのは、おそらく「戦没者」の慰霊という目的が一つにあるのだと想像できるが、「戦争犠牲者」の慰霊という意味では、靖国神社の参拝だけでは不十分だといえると思う。(もっとも、日本国の首相が、A級戦犯が祀られている神社を参拝すること自体さまざまな問題が取り沙汰されているわけだが。)
いかなる理由があろうとも、何の罪もない人の命が、人の手によって奪われることは二度とあってはならない。その決意を抱かせられるのは、過去に戦争が行われ、大勢の人の犠牲があったからであることは皮肉かつ心が痛むことではあるけれども、決して忘れてはならないことである。
犠牲になられた大勢の人のためにも、過去の過ちを二度と繰り返さないという決意、平和な世界を築いていくのだという決意を再確認する日という意味あいを深く心におき、8月15日を迎えたい。
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