平成28年6月22日、いよいよ参議院選挙の公示日を迎えました。今回の選挙は、戦後我々が経験したことのない極めて重要な意味がある選挙であると認識しています。それは、憲法改正、特に前文および9条に示された「戦争放棄」が改められ、日本が戦争のできる国に変貌してしまう恐れが秘められている、ということです。
自民党による憲法改正草案がアップされているサイトには直接リンクが許されていないので、自民党のトップページのリンクを貼らせて頂きますが、ここには憲法改正草案に関する情報が見当たりません(その意図はうすうす分かる)。
<自民党>任意の検索サイトで「憲法改正草案」で検索するとすぐ飛べます。pdfをダウンロードして、ぜひお目通し頂きたいと思います。
自民党の憲法改正草案を読むと、「改正」などという言葉は使いたくなくなります。むしろ「改悪」あるいは「破壊」といった言葉のほうがふさわしいとさえ思えます。
5月3日の『報道ステーション』で、憲法記念日の特集報道がありました。(この映像はyoutubeにもアップされていたが早々に削除されてしまっている。このことも甚だ疑問。)この日、各地で改憲派、護憲派それぞれの集会が開催され、改憲派のある集会に、安倍総理がビデオメッセージを寄せていました。そこで安倍総理は、このように述べておりました。
「憲法は、国の未来、理想の姿を語るものです。」
呆れ果てます。違うでしょう。いや、とっても広い見方をすれば、結果的にそういうこともちょっとは含まれるのかもしれませんが、憲法とは、主権の存する国民が、第二次世界大戦勃発のときのように、国家が戦争へ暴走したりしないように、国家権力に対して歯止めをかけるものです。安倍総理、あなたはほんとうに総理大臣、いや、政治家なの?と問いたくなります。
以下のサイトが分かりやすいのでご参照をお勧めします。
<憲法をわかりやすく>また、安倍総理はこのようにも述べておりました。
「憲法に指一本触れてはならない、議論すらしてはならないなどといった、思考停止の姿勢に陥ってはなりません。」
ちょっとまってください。憲法に指一本触れてはならないなどと、どこの誰がおっしゃっているのでしょうか? 現代にそぐわない内容や言葉遣いなどがある部分は、大いに改めていいでしょう。そういう議論は大いにやってよろしいんじゃないですか。
しかし、「戦争放棄」をなくして、戦争ができる内容に変えることだけは絶対やってはいけないと、良識ある一般人ならほとんどの人がそう思われるでしょうし、実際に大勢のデモなどではそのことを訴えているのです。自分自身もしくは家族、親戚、友人、知人が戦地に駆り出されて命を失う、そんなことを望んでいる人は、日本だけでなく世界中に一人も存在しないと信じます。
思考停止などとは、護憲派をバカにした発言です。というか、むしろ安倍総理が、なんとしても改憲するのだという思考に停止していらっしゃるんじゃないですか。その思考はどこから出てきているんですか? A級戦犯で投獄されたお祖父さん(岸元総理)の無念をはらしたいとでもお考えなんでしょうか? もしそうなら、そういう個人的な感情は即刻拭い去って、日本のため、いや世界の平和のため、リーダーとして何をなすべきなのかを真剣に考えて頂きたいものです。
そもそも歴史上、武力で平和が保たれたことなどなかったはずです。そのことを、日本人は第二次世界大戦で身をもって知り尽くしたからこそ、戦争放棄の憲法を打ち立てたはずです。その理念を国民一人ひとりが、戦後71年貫いてきたからこそ、戦後の復興が成し遂げられ、日本の信頼が確立され、先進国にまで成長することができたといえるのです。日本は戦争をしない平和で安全な国だと、世界中から認めてもらっているのです。
近隣のアジア諸国が日本をおびやかしそうだ、ある程度の武力を備えておかないと危ないんじゃないか、これを日米安保と絡めて「抑止力」などと称し、そういう考えが改憲派の意思の根底にある感じがします。しかし、それは現憲法下にて解釈され続けている個別的自衛権によってカバーされているのです。もし目の前に危害を加えようとする者が現れたら、誰だって身を守るために抵抗します。(憲法13条の規定。これが個別的自衛権であり、自衛隊が合憲である根拠)
安保法制しかり、憲法改正草案は、集団的自衛権(日本が他国へ出掛けて行って同盟国とともに戦争ができる)を容認するものであり、「戦争放棄」という理念を破壊するものといって間違いないといえます。集団的自衛権を行使したらどうなるか。攻撃された他国は同盟国だけでなく日本にも怨みを持つでしょう。日本に攻撃を仕掛けてくるでしょう。原発にミサイルを撃ち込まれたら日本は滅亡します。こうなりますよ、集団的自衛権を行使したら。安倍総理や現政権は、そういうことまで考えが及んでるんでしょうか。全く考えてないんでしょうね、おそらく。
だから、率直には、もはや日本は「戦争放棄」というのは理念でありつつ、現実的に他国の怨みを買うようなことをしてはならない国だといえるんです。永久に戦争を放棄しなければならないんです。(逆にいえば、戦争ができるようにするためには、原発をすべてやめるところから始める必要がある、という屁理屈も言えそうだが。)
GHQから押し付けられた憲法? そうではなかったことが、5月3日の『報道ステーション』で、すでに明らかにされています(戦後、日本国憲法制定時の幣原元総理が、マッカーサー元帥に対して「戦争放棄」の条文を盛り込みたい旨を進言していた)。
いかなるトラブルが発生しようとも、とことん話し合いで、平和的に解決する方法を必死に考え努力するのが政治家のはずです。そういう手腕を発揮して頂きたいですし、それができないなら政界から退いて頂きたい。話し合いをせず、いや、そこそこ話し合ってダメなら武力で相手を叩く、血を流す、そんな選択が許されていいのなら、政治家など必要ないと言いたいです。
安倍総理の選挙関連演説では、経済や年金など、一般市民にとってごく身近な、耳障りの良いことばかり申しておられますが、憲法9条を書き換えて戦争のできる国に変貌してしまったら、ごく普通の生活すら木っ端微塵になってしまいます。有権者の方々も、このことをよくよく認識して頂きたいと思います。
憲法9条を書き換えるということを貫こうという意思でおられるなら、現政権与党の議員に票を入れるわけにはいきません。
日本の、そして世界の平和な未来のため、くれぐれも間違った選択(投票)をしないよう、一人でも多くの方々の共感を得たいと願うものです。
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