最近学ばせて頂いたことの中から一つメモさせて頂きます。
『過去は変えられない、未来は変えられる』とは、世間一般の常識であり、誰もが納得できることだと思います。これは、もっと限定的な見方をすると、「行為」については、ということであります。つまり、過去にやってしまったことは変えようがないことはいうまでもなく、また、これから起こる未来については、まだ何もやっていないので、自分の意思でいかようにも変えられるということです。
さて、「行為」についてと書きましたが、もう一つの視点があります。それは「意識」ということです。あのとき、こんな風に思ってこう行動した、こういうことを考えていたのであんなことをやってしまった、という経験が誰にでもあると思われます。そこを、あのときもっとこういう考え方をしていれば、もっと違う行動がとれたハズ、それによって、もっと違った結果になったハズ、という思いになった経験も誰にでもあると思います。
それによって、現在の考え方を変えることができ、考え方が変わればおのずと行動も変えることができるわけなので、「意識」についてのみいえば、過去に思ったことは変えられる、といえることになります。
そして、その意識はどこに向かって変化・収束していくかといえば、これはもう何度も書いていることですが、仏教でいえば「仏性(ぶっしょう)」でありますし、キリスト教などでいえば「神の御心(かみのみこころ)」ということになるでしょうか。
つまり、人間、いや、生きとし生ける全てのものが「仏性」とか「神の御心」という一点に尽き進んでいくという捉え方からすると、未来は変えられない、というより、未来辿り着くところはそこに決まっている、ということにもなります。
全てそこに向かって「生かされている」ということが、仏教の捉え方の一つでもあります。
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