またまただいぶ間が開きました。
今回は、「荘厳」ということについて学ばせて頂きましたので、例によってメモっておきたいと思います。
まず読み方と意味について。
荘厳とは仏教用語で、一般には「そうごん」と読まれることが多いようですが、「しょうごん」と読む場合は少し意味が変わるようです。
「そうごん」と読んだ場合は、威厳があって気高い様子といった「状態」を表わす意味になり、「しょうごん」と読んだ場合は、そういう状態を作り出すための「動作」を表わす意味になるということです。
浄土真宗などでは、お供え物を供えたり、きらびやかな仏具を飾って仏壇を整えることを「お荘厳(おしょうごん)」と言うことからも分かります。
次に、荘厳(そうごん)そのものの意義について。
お供え物や仏具で仏壇を整えたとき、その仏壇を見る(拝む)人によって、荘厳の本来の意味である「威厳があって気高い様子」と思えることもあるし、「華美」とか「派手」とか「けばけばしい」という印象をもたれることもあります。
見る人の心によってそれは変わると言ってしまえばそれで終わりですが、どうやら、お供えしたり飾りつけしたりする側の人の心の影響のほうが多分に表われるようです。
つまり、「尊いものをより尊く整えたい」「見る(拝む)人がありがたいと思える心を起こして頂きたい」といった、人の救われを願ってお供え、飾りつけを行なうならば、その心が具現化され、見る人の心にも感応するというのです。ただたんに、「よく見せたい」「立派に見せたい」という思いからは、荘厳な雰囲気は醸しだされず、時に「華美」「派手」「けばけばしい」と感じられてしまうということです。
男女問わず、服装や化粧などにも同じことがいえそうです。外見だけをよく見せようという心では、他人に好印象をもたれず、逆に、質素・簡素な服装であっても、世のため人のためをいつも考えている人のお姿、立ち居振る舞いには、気高さや品格を感じられるものです。
そして、世のため人のためを考えられるようになるためには、やはり、自分自身の尊さを認め、自分を磨くことが大事である、とまあそういうことのようです。
自分を磨くことを、常に意識できるようになりたいものです。
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