1ヶ月以上間が開いてしまいました。11月から12月にかけて、弊社は年度変わりのため、毎年のことながら多忙を極める時期であります。充実した中味のブログにしたいという当初の方針を貫くため、日々ちょこっと気づいたことなどは
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さて、「問題意識を持ちなさい」ということを、よく企業などでは幹部や先輩などから言われ、指導いただいていると思います。私も以前の会社に勤務していたときはそうでした。ところで、この「問題意識」とは、何に対して持つことを指すのかを考えるとき、ごく普通には、仕事そのものに対してであることは当然であると思われます。企業ならば、社会貢献ということが一つの理念であることは誰しも理解できますが、そのためには利益が上がらなければ、企業の存続意義は無いわけであって、利益を上げるために売り上げを上げる、コストを下げる、さらに、売れるものを作るというあくなき努力を続けるのが当然であって、そのために問題意識を常に持ち、問題があれば具体的に浮き彫りにし、それを排除するという活動を断つことなく続けなければならないわけです。
ところが、この問題意識を過剰に持ち過ぎると、知らず知らずのうちに否定的、批判的、排他的な感情が生じ、極端にいうと、問題意識を持つこと自体が新たな問題を作っているようなケースも往々にして起こっている感じもします。
仏教では、内省ということの重要性が説かれます。内省に対して、反省という言葉があります。反省とは、問題や過ちを明確にし、それを悔い改めるという、まさに、問題意識を持つことと似ていると考えられますが、内省とは、反省と若干ニュアンスが異なり、一切衆生を救おうとする仏の願いと、自分の願いや行動を照らし合わせ、仏の願いからどれだけずれているかを認識し、仏の境地を目指してあらたな努力をしようと誓願すること、と説かれます。
つまり、周囲に対して問題意識を持つことは悪いことではありませんが、そのことだけでは不十分であり、それ以前に、自分自身に問題がないかどうかを常に意識し、自分を高めていくことが重要であると考えられます。
要するに、「問題意識を持ちなさい」というのは、他に対してだけでなく、それ以上に自分に対して持つことが大事なことなのではないかと思えるのです。
仏は、すべての人間を仏にしたいと願っておられるというのが仏教の教えです。であるならば、人間の側からしたら「仏になりたい!」と願うことこそ、仏の願いに適うことであると思いますし、そのような意味のことが経典にも説かれてあります。メーカーで働くのも、サービス業で働くのも、役所に勤めるのも、究極的には「一人ひとりが神仏の境地にまで達する」ということが最終目的でありましょう。
さらに、周囲に起こってくる問題は、すべて自分が向上するための試練であるという受け止め方ができれば、問題に対して肯定的、積極的な対応ができると思います。
「問題は私の成長の糧」という受け止め方が自然にできるようになりたいものです。
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いつもこっそりと拝見しています!
これからも、更新楽しみにしていますね♪
コメントありがとうございます。
コメントありがとうございます!
更新サボりぎみですが、どうぞ気長に宜しくお願いします(^^;)