少し間が開きましたが、先日聞いた話をメモっておきます。
仏教学者(?)の毎田周一氏が説かれている内容で、他力の信心五箇条というのがあるそうです。以下の通り。
1.人の悪口を言わない
2.人を咎めない
3.人の恩を知る
4.人に教えない
5.人に恩を着せない
毎田氏は、特に親鸞上人に傾注されていたようなので、絶対他力という思想は浄土真宗で説かれている信仰形態のようです。
聞いた話は以上で、上記の五箇条についてそれほど詳しい解説などはありませんでしたので、以下は私の感想です。
仏の救いを信じて全てを仏に任せきる・・・西洋の一神教にも似た思想に感じますが、一点大きな違いがあります。それは、西洋の一神教の基本は、信じるものは救われる、逆にいうと信じないものは救われないということであるのに対し、仏教、特に浄土真宗の思想は、信じようが信じまいが既に救われている(生かされて生きている)ので、仏に対する感謝の意を込めて「南無阿弥陀仏」と唱えましょう、ということです。
浄土真宗の思想を理解すると、上記の五箇条の中で、「4.人に教えない」ということの意味は、「仏が人を教え導くのであるから、人が人に教える必要はない」というようにも受け止められます。
そうはいっても、現実の生活において、親は子どもに生活の基本を教えなければならないし、教師は生徒に学問や道徳を教えなければなりません。しかし、生活の基本や学問や道徳、さらには法律などをどれだけ勉強しても、それを守ったり、有効活用する心がなければ、それらを勉強したことにはならないわけです。もちろん、勉強は大事でありましょうが、それ以上に大事なのは心であるということです。
つまり「4.人に教えない」ということの真意は、俗世間のことがらについて教えないといっているのではなく、もっと深い、情操心とか信仰心のことをいっているのだと考えられます。
神仏を敬う心というものは、理屈を説明されて養われるものではないことは誰しも体験していることだと思います。では、どうしたら神仏を敬う心を養うことができるのか。それは、実際に神仏を敬う行為を、最初は形の上だけでも繰り返し実行してみるということが効果的であるようです。具体的な方法は、神社や仏閣、また宗派とか海外の寺院や教会でもいろいろ違いはありますが、とにかく(正しい)宗教の雰囲気に触れてみるというしかないようです。
幸い日本人は、初詣、お宮参り、お彼岸、お盆、クリスマスなどなど、宗教的イベントが生活に根ざしている民族でもありますので、折に触れ、神社やお寺にお参りにいって、神仏を敬う心を養うことが大事なことであると思います。
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COMMENT
人に教えない?!
初コメントします。
毎田氏の五カ条「4.人に教えない」?!ってインパクトありました。
BEACHさんの解説でなるほどと思いました。
神仏を敬う心をおっしゃてるんですね。神社、仏閣、お墓参りなどを通して感じていくものなんですね。
それにしても「4」にこれ?!ですか...奇襲ではないかと感じております。
無題
コメントありがとうございます。ひょっとしてかつおさんは、同じ場所でお話を聞いていらした方でしょうか?(^^)
本文には書きませんでしたが、「人に教えない」というのは、「あくまでその人が、自分から仏の救いに気付けるように関わるにとどめる」という意味も含まれているかもしれませんね。