最近、
TAKUの日記というブログが注目されているそうで。
TAKUさんという方がどういう方なのかは存知上げないが、なぜ氏のブログが注目されているかというと、先日のWBAライトフライ級タイトルマッチの、試合運びから、判定で亀田が勝って新チャンピオンになるということまで、今年の5月の時点で言い当てているからだ(氏の5/24付のブログ記事をご参考)。
ただ「八百長で」ということまで真実かどうかは知る由もありませんが・・・。氏のブログは、ただ単に読んでるだけで面白いが、ワタシ的に興味を持ったのは、約3ヶ月も前に、よくぞあれだけ具体的に結果を言い当てられたもんだということ。
たしかに、ずっとボクシングに注目し、多くの試合を見てきていると、ある程度の予測は可能であるだろうし、実際、TAKUさんと同様の予測を持っていた人も大勢いるかもしれないが、現実に記録に残しているという点に敬意をはらいたい。(たまたま当たったのかもしれないし、なんのことはない、実は裏事情に通じている人なのでは、と思ってしまいたくもなるが。)
世にあまた有るさまざまな「占い」は、その共通目的は「未来を予測し、よい方向に進める対応策をとろう」ということであり、ほとんどはいわば統計学であり、膨大なデータを元に一定の方程式を導き出したものであるといって過言ではあるまい。
「このような傾向で物事が運ぶだろう」という一つの目安にはできると思うが、100%当たるということは無い。どんなに優秀な占いでも、当たる確率は最大でも80%ぐらいではなかろうか。(だから「当たるも八卦」などといわれるのではないだろうか、というのは私見です^^;)
当たる確率がほぼ100%で、日付や状況まで具体的なものであるほど、それは占いの領域を超え、予言といわれるようになる。また、同時に予言には、警鐘を鳴らすという意味も含まれる。
歴史上の人物でいえば、世界三大聖人といわれる、お釈迦さま、イエス・キリスト、マホメットなどは予言者の筆頭とされる。正確には、イエス・キリスト、マホメットは預言者(神の言葉を伝道する者)という方が正しいようだが。
その後の歴史においても、宗教者や偉人などに予言者といわれる人はいるようだが、いずれにしても、予言者と呼ばれる人は、つぶさに状況をとらえ、分析する能力が人並みはずれて長けていて、プラスやはり特殊な才能を持っている人(常人には見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたりというような)、ということがいえそうだ。
しかし、予言というものの中には、世間を騒がすだけの迷惑なものが飛び出してくることもままある。
ここで一つ、お釈迦さまが示唆しているのは、(予言などを含めた)神通力というものは、他の悩み苦しみを取り除いてあげたいという必死の願いで自己を高めようとする修行の結果、自然に身に付くものであり、神通力を身に付ける目的で修行するというのは間違いである、ということである。
お釈迦さま自身もたいへんな神通力を身に付けておられたそうだが、あえてそれを駆使するようなことはほとんどなく、ただひたすら人の苦しみを取り除き、お釈迦さまと同様の悟りに至らせたいという願いで教えを説かれたと仏典は伝えている。
冒頭のTAKU氏のような予言?ならば個人的に楽しめるが、世の危機感をいたずらに煽るだけの予言などに惑わされることなく、自分を高めるための精進に日々励みたいものである。
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