仏教とはなにか?
一般的かつ大概的には、お釈迦さまによって説かれた教え、お釈迦さまが開いた宗教、という回答でよいと思われる。
しかし、真の仏教徒あるいは仏教を深く学んだ人は、もう一つ、重要な回答を知っている。それはつまり、仏教とは「仏になるための教え」ということであり、「誰でも仏になれるということに気付かせる教え」ということである。
ではいったい、仏とはどのような存在か?イメージとしては、やはり、お釈迦さまのお姿、生涯を思い浮かべるのがよい。
お釈迦さまは、全ての人の悩み苦しみを取り除き、幸せにしたいと考え、その一心で悟りを開いてから亡くなる間際まで、人びとに教えを説き続けた。
そのような心がいわゆる仏心(ほとけごころ、ぶっしん)であり、その心はどんな悪人にでも備わっていると説かれる。
つまり、他の人の悩み苦しみを取り除いてあげたいという心が仏心であり、そのような心境で行動する人が仏であるということもできる。
さて、最近、その仏というものについて、素晴らしい解釈をされているサイトに出会った。そのサイトは「
バカデラ住職 不立文字」というところで、そこでは次のように語られていた。
「仏教とは一人間が無敵になるための教えともいえると思う。文字通り「敵無し」、この状態こそ、最強の状態であるが、それは実に容易い?ことで、ようは誰をも敵視しなければ敵が無くなる訳です。(たとえ相手に敵視されようと)
どんなに豪腕な格闘技のチャンピオンであれ敵視する対象があるかぎり無敵とは言えないので、真のチャンピオンではない。」
なんてわかりやすい解釈であろうかと思った。
以前、こんな話を聞いたことを思い出した。
「誰とでもウマが合う人。その人こそ仏である。」
我々俗世で生きる人間は、仲の良い友人を大勢もっている人もいるだろうが、カンペキに誰とでもウマが合う人というのはいないのではなかろうか。人間である以上、そんなことは不可能であると考えられる。
しかし、それは可能なことなんだよ、と説かれているのが仏教である。そのために、生かされている命を生きる、そしてその方策が説かれているのが仏教である。
理論はカンペキだが、やはり実践するとなるとむずかしい。だが、千里の道も一歩から、常に一歩を踏み出す努力をしたいものである。

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