多忙モードも小康を得まして、何日かぶりの更新です(^^;
竜王戦第3局(
第19期竜王戦中継サイトをご参考)は、私が応援する渡辺竜王がようやく1勝を挙げました。ここからさらに盛り返してもらいたいです。
さて、「忙」という字も「忘」という字も、「心」を「亡くす」という字で組み立てられているように、あまりよくない意味で自分自身を見失っているという意味が込められているように思います。
そういう意味では、「忙しい」という言葉はできるだけ使わないように意識しているつもりですが、ついつい口に出てしまいます。
ところで、伝教大師「最澄」の言葉に「忘己利他(もうこりた、もしくは、ぼうきりた)」というのがあります。「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」というのが元の言葉ですが、つまり、仏のような慈悲の行いというものは、自分の損得勘定は一切含まれないということを言い換えたものです。
例えば、子を持つ親ならほとんどの人は経験があることだと思いますが、生まれて間もない我が子がおなかを空かせて泣いていたら、母親は無条件に授乳する、ようやくつかまり立ちができるようになった程度の子が、もし転んだりしたら、無条件に手を差し伸べる、というときに、「自分の労力が損なわれるが仕方がなかろう」などと思って授乳したり手を差し伸べたりする人は一人もいないと思います。
この、我が子に対するような心境が、あらゆる人に対して全く同様の心境で行動されたのがお釈迦さまであり、それが仏心なのだというわけです。
妙法蓮華経というお経の譬諭品という章に、「今この三界(宇宙全体)は皆これ我が有(所有するところ)なり。その中の衆生は、ことごとくこれ我が子なり」という一節があります。
この一文を読むだけでも、仏さまの心というのは、広大無辺な慈悲の心で100%埋められているということが理解できます。仏さまの心を、ほんの少しでもマネができたとしたら、たいへん尊いことではないでしょうか。
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