西洋のことわざに、次のようなものがあります。
1日だけ幸せでいたいなら床屋にいけ。
1週間だけ幸せでいたいなら車を買え。
1ヶ月だけ幸せでいたいなら結婚しろ。
1年だけ幸せでいたいなら家を買え。
一生幸せでいたいなら正直でいることだ。ふむふむ、なるほど、と思わされます。ただ、正直過ぎるといろんな誤解やトラブルを起こしかねません。ハゲている人に向かって、そのまんま「ハゲてますね。」とは言えないでしょう。つまりバカ正直であってはならないわけです。バカ正直というのは、正直である前にバカなわけですから。
そこで、仏教では「仏の智慧(知恵ではない)を身につけなさい」と説いています。仏の智慧を身につけるとはつまり、「諸行無常(すべては変化する)、諸法無我(すべては関係し合っている)の真理を認識することである」と説かれています。そして、この「真理を認識した状態」のことを涅槃寂静、いわゆる涅槃の境地といい、そこを目指して日々精進することが仏教であり、仏道修行ということです。
さて、そこで幸せとは何かということになると、えてして限りあるものを求めようとすると、幸せ(というか優越感)にもおのずと限りがあり、冒頭のことわざのように、車を買っても、結婚しても、家を買っても、その幸せは長続きするものではないわけです。一時の幸せというのは、本当の幸せとはいえないでしょう。
それならば、その元となるお金をたくさん持っていれば幸せかというとそうではないことはすぐ理解できると思います。どんなにたくさんのお金があっても、遣ってしまえばなくなるわけですし、やはりお金も限りあるものの一つに過ぎません。
あるいは、名誉が得られれば幸せかというと、やはりそうではありません。総理大臣になろうとも、大統領になろうとも、オリンピックで金メダルをとろうとも、それのみを目標にしてしまうと、その目標が達せられたら、あとは堕ちていく一方です。名誉もやはり限りあるものといえます。
では、限り無いもの、絶対的なものとはなんでしょうか。それがつまり、仏の智慧なわけです。仏の智慧を身につけることを目指して生きている状態こそが、幸せということになると思います。具体的には、仏に、そしてすべてに生かされていることが有り難いと思えるようになることです。
車があってもなくても、結婚してもしなくても、総理大臣になれてもなれなくても、オリンピックで金メダルをとってもとれなくても、心の底から有り難いことだと思えるようになれたら、こんな幸せなことはないのではないでしょうか。
毎日一歩ずつでも、仏の智慧に近付いているということが意識できるように生活したいものです。
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