仏教に限らず、ほとんどの宗教には「祈る」という行動があると思われる。いや、宗教にとどまることではない。人間の本能であるかもしれない。
祈るとは、他の幸せを心の底から真剣に願うことである。ちなみに、他の不幸を願うことを「呪(のろ)う」という。
多くの人が、お互いに他の幸せを祈るような世界は、とてもあたたかい世界であろう。そして、祈る行為を続けていると、自然にそれが行動に表れてくるであろうことが想像される。
「頑張れ!」と声に出して応援したり、困っている人を見て「大丈夫?」と声を掛けたりということが自然にできるようになる。
結果的に、それは、自分自身を幸せにするものであることは間違いないと思われる。
ところが、他の不幸を願う「呪う」という心理も、人間には本能的にそなわっているように思われる。
呪うとまではいかずとも、幸せな人を見て怨んだり妬んだりするような心は誰にでもある。
しかし、この呪う心を表に出さず、祈る心をどこまでも育んでいくのが人生なのだといっても過言ではないのではなかろうか?
祈る心を育むためには、やはり、少しずつでも祈る行動を実戦していくのがよい。行動が心を育て、心が行動に移しやすくする、というように。
祈る心を意識して大事にしたいものだ。
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