<レムナント出版(キリスト教書籍・雑誌)>というサイトを見つけ、興味深く読ませて頂きました。キリスト教も素晴らしい教えであると思っておりますが、この中で大変な間違いを一つ見つけましたので指摘させて頂きます。以下のページです↓
<仏教の「末法」キリスト教の「終末」>この中で、末法時代が10,000年続いたあと、法滅時代(仏教の教えそのものが無くなる)がやってくるという記述があり、従って、仏教では救われないというニュアンスの導入になっています。
仏教の根本的な教えは「諸行無常(全てのものは変化する)」と「諸法無我(全てのものは関係しあっている)」という宇宙の真理・法則であり、この真理を有効活用しましょう、というものです。
法則でありますから、三角形の内角の和は180度である、ということと同様に、永久に無くなるものではありません。
変化することが真理でありますから、真理に基いた教義が、時代と共に変わっていったり、薄れていったりすることは当然のことであり、そのことを法滅時代と表現したのではないかと想像しますが、字面通り「法」が「滅」すると解釈すると、それはとんでもない間違いになります。正法時代、像法時代、末法時代は経典にも記載されている思想ですが、そもそも法滅時代という言葉はどこから出てきたのでしょうか?
(ちなみに、今現在は、仏教では末法時代とされています。この末法時代がくることをお釈迦様は予想されて、のちに活字になる教え・経典を遺したとされています。)
それと、以下のページにも疑問があります↓
<仏教の「修行」キリスト教の「贖い」>仏教では、仏になるために1兆×10の61乗年修行しなければならない、と記述されていますが、たしかに、経典にはそのような意味に相当する記述があります。これは誤解されやすいところなのですが、大事なのは、それだけの長期間、修行しようという気持ちが起きるのは「自分は仏の子なんだ!自分も仏になれる!」と喜び、確信できるからであり、確信した人は既に「仏」であるわけです。つまり、仏が仏になる修行をするのですから当たり前のことです。
犬や猫の子が人間になろうと努力してもなれるわけはなく、そんな努力をしようとすら考えもしないでしょうし、仮にそんな努力をさせられようとしたならば、それはそれはとてつもない苦痛が伴うのではないでしょうか。
「信じるものは救われる」とはキリスト教に代表される、主に西洋の一神教の思想ですが、逆にいえば「信じないものは救われない」ということです。ですが仏教が説くところは、あらゆるものは真理に生かされているので、信じようが信じまいがすでに救われており、そのことに気付けばよいのだよと、ただそれだけのことなのです。
宗教とは、人間として正しい生き方・よりよい生き方を教えるものでありますから、ぶっちゃけ、どんな宗教でも、正しい宗教ならばなんでもいいよ、ということまで仏教では説いています。正しい生き方・よりよい生き方を求め、人にもお奨めできるよう学んでまいりたいと思います。
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