以前、
自分が変わるとは?ということを書かせて頂いたことがある。この中で、人生八変化というのを紹介させて頂いた。内容は以下のとおり。
『人生八変化』
自分が変われば、相手が変わる
相手が変われば、心が変わる
心が変われば、言葉が変わる
言葉が変われば、態度が変わる
態度が変われば、習慣が変わる
習慣が変われば、運が変わる
運が変われば、人生が変わる
よく読むと、この内容はちょっとおかしい。要は「自分が変われば、人生が変わる」ということを結論づけたいために、後付けで語呂合わせ的に間の内容を決めた感じがする。
これは一旦さておいて、自分が変わる(変える)というのは、自分の何を変えるのかをよくよく考えたとき、それは自分の心や言動を変えるということであることは納得できると思う。
さて、ここでさらに考えたいのが、心というものはカンタンに変えられるものかということである。
その昔、究極の選択というのが流行ったことがある。その一つに、超美人だが性格が悪い女性と、超ブサイクだが性格がよい女性、どちらがよいかというのがあった。一つの答えとして、外見はそうカンタンに変えることはできないが、性格は直すことができるだろうから、現時点で性格が悪くても、超美人の女性のほうがいいというのがある。
一瞬「なるほど」と思えるが、ここに落とし穴(?)がある。今の世の中、その気にさえなれば、美容整形術が進化している昨今、外見を変えることなどたやすいことである。逆に、性格を変えるというのはそうカンタンにはいかない。自分自身を振り返っても、回りを見てもすぐに理解できることである。
例えとして、パソコンのハードウェアをグレードアップするのはそれほど難しいことではないが、ソフトウェア(OSやアプリケーション)を変更するのはカンタンなことではないということと同じである。
「心は形を求め、形は心を整える」という言葉がある。つまり、心を変えるには、何か求めるものが必要だということである。ある特定のスタイルを求めることによって、そのスタイルにふさわしい心に徐々に変化していく、ということである。
妙法蓮華経という仏教経典の中に、果てしない年月の中で、何度も生まれ変わり、死に変わりしつつ、多くの仏に仕え、多くの人を苦しみから救う行為を数え切れないほど繰り返すことによって、自分もいつか仏に成れる、といったことが説かれている。
求めるものの究極は「仏の境地」であるが、この理屈はあらゆることに当てはまる。今よりちょっと高い境地をずっと求め続けるということが大事なことのようだ。
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