先日、
<なんのために生きる?>の中で、先祖を供養するというのは、成仏して頂くという目的のみにとどまらず生命を頂いたことに対する感謝の念で行うこと、ということを書かせて頂きました。
これは実は、仏教に限らず、キリスト教でもイスラームでも、祈ることによって成仏できる(=極楽浄土に行ける、もしくは天国に行ける)という宗教的思想の根っ子のところは変わらないようです。
ところが、元々の仏教の思想には、もっと深い意義があったということを、今日また改めて学ばせて頂きましたのでさっそくメモさせて頂きます。
仏教の経典の一つ、妙法蓮華経というお経の中の化城諭品(けじょうゆほん)第七という章の部分に、次のような一説があります。
「願わくはこの功徳をもって、普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」現代語に直訳すると、以下のようになります。
「わたくしどもの願いといたしますところは、この功徳をあまねく一切のものにおよぼし、わたくしどもすべての衆生が、みんなおなじように仏の境地にたっしたいということでございます。」「この功徳」というのは、仏の教えを行ずる功徳という意味なので、先祖供養も含まれます。つまり、先祖供養をすることによって、この私自身が、皆と一緒に(この、皆と一緒にというのが重要!)仏の境地に達したいと願うということになります。言い換えると、仏の境地に達したいという尊い願いが起きたのは、先祖がいてくれて、この私に生命を授けてくださったお陰です、ということにもなります。
極楽浄土や天国にいけるように祈るという宗教の根本思想に加え、要するに、立派な人間になります、さらには、立派な人間を大勢作ります、教育しますという願いを持つことが先祖供養の真髄であるといえそうです。
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COMMENT
無題
無題
マックと言います。
20代後半です
趣味 ネットサーフィン
最近は収入を増やすために株をやっています。
真理に26歳くらいから興味をもち、どうしたら真理の中に自分を固定できるかを考えています。
追記
将棋もできます。高校時代は何回も優勝しました。チーム戦ですがw
無題
はじめまして。コメントありがとうございます。
既に「八正道」で色々検索され、結果、小生のブログにお越しになられたということですよね。ウレシクなります。
ネットでも書籍でも、学べる材料はたくさんありますが、おしなべてちょっとムズカシイ内容のものが多いです。しかし、ごく平易にまとめられているものもあります。以下オススメのサイトです。↓
http://www.kosei-kai.or.jp/020shinko/0202/
「どうしたら真理の中に自分を固定できるか」というのは、根本仏教的な思想ですね。大乗仏教では、困っている人をいかに助けるか、喜ばせるかと工夫し、行動する中に悟りがあると説いています。
真理の中に自分を固定=真理を悟る=仏と同じ境地になる=人を救いたくなる
・・・とまあ、こういうワケなので、目的は一緒です。
仏の境地を目指して精進いたしましょ!
無題
真理を悟ったらほぼ問題なく人生を生きれると思うんです。
で、昔から真理のことについてみんなあーだ こーだいってるとおもうんです。4000年くらい前から?
だけど真理どおりに生きれる人っていまだかつてみたことないんですが。僕が生きているあいだでのことです。
どうしてでしょうか。やっぱり真理どおりにいきるよりかは、自分の欲のままに生きるほうがみんないいとおもってしまうのでしょうか。
無題
こんにちは、書き込みありがとうございます。
「真理を悟った」とは、どんな状態になるんでしょうかねぇ。ワタシにもわかりません。
仏教で説かれているのは、悟りとは生そのものであり、悟るとは生きる、ということです。
つまり、「悟った!」と言ったらそれは「生きた!」ということでありますから、それは要するに「悔いを残さず死ぬ」ということになりそうです。
真理を求め続けて生きることが、すなわち「悟る」ということです。悟りとはどこまでも高まって、深まっていくものであり、限界がないのです。
なんか禅問答のような話になりましたが、そもそも仏教は、正しく、精一杯、命を輝かせて生きる、またその生き方を説いた教えでありますので、一つ一つ学んで、実際に行動して生きることによって悟りも深まっていくものと考えればよいかと思いますがいかがでしょうか。
無題
実際、真理どおりに生きている人って有名なかたでどんなかたがいますか。
あと、なにか仏教をまなんでなにか変ったことあります?友達とかに聞けたらいいのですが実は仏教を学んでるとか、八正道に興味があるという友達がひとりもいないんでw結構マイナーな種目です><