12月も、いつのまにか半ばになり、今月が「年度始め」となる弊社の慌しさもだいぶ和らいできたところですが、これから年末年始に向けて再びバタバタしてきそうなところであります。
そんな中、また最近聞いた話の中から印象に残ったものを記しておきたいと思います。
さて、お辞儀はどういうときに、どんな目的でするものでしょうか?バカな質問と思われるかもしれませんが、このお辞儀には深い意義があるというのです。普段、私たちは、人に会ったときに「おはようございます」「こんにちは」といった言葉とともにお辞儀をします。また、廊下等で目上の人や外部の方とすれちがうときなどもお辞儀をすると思います。
お辞儀は、相手に対して敬意を表わす、相手を敬う意義があることは誰でもうなずかれることと思いますが、それは第二義なのだそうです。では、第一義はなにかというと、相手にお辞儀をするという行為を通して、自分自身を敬うのであるというのです。つまり、その人が自分自身をどれだけ敬い、尊んでいるかが、お辞儀の仕方に表われるということになるのです。
人は、他人から尊重されないと満足できない部分をもっていますが、それは、自分で自分を尊重できていないから、ということになります。仏教では「己の仏性を発見し、磨きあげていく」ことが修行であることを説いていますが、己の仏性を発見するとは、自分が尊い存在であるということを自覚することであります。そして、自分をほんとうの意味で尊べる人こそ、他人を尊び、大切にできるのである、ということも説かれます。
さて、ではどうすれば自分を尊ぶことができるのか。それは、私たちは自分の力のみで生きているのではなく、あらゆるものによって生かされているということに気づくことがまず必要ということです。では次に、生かされているという気づきはどうすれば得られるのかということになるわけですが、それは一番身近な両親に感謝ができること、ということになるようです。
直接的に自分に命を授けてくださったのは両親です。酒乱だろうが暴力をふるわれようが、もしくは自分は親に捨てられたという人でさえも、いまここに自分を存在させてくれたのは両親、その両親、そのまた両親とたどっていくところの先祖であることはまぎれもない事実です。
仏教では、あらゆる存在は、すべて必要あってのものと説いています。ならば、直接命を与えてくれた両親は、一番最初に感謝の対象となるわけです。
誕生日は、一つ年を重ねるおめでたい日でありますが、それ以上に、親に対して「生んでくれてありがとうございます」とお礼をいう日である、とも聞いたことがあります。
親に感謝し、自分を尊び、他人を尊べる修行をつづけてまいりたいと思います。
[1回]
PR
COMMENT
無題
無題