多忙続きで、約3週間ぶりの更新となりました(;;)
しかも、こんな多忙な中、彼岸の中日の9/23、実家の祖母が亡くなりました。85歳でした。実家には私の母と寝たきりの祖父しかいないため、長男である私は、本年2度目の喪主をつとめることになり、帰省しておりました。
祖母は実に、亡くなる前日まで畑仕事をし、自転車にまたがり、普段通りの生活をしていたとのこと。亡くなる日の朝もお彼岸の中日に作ったおはぎを2個食べ、さて、裏の畑にひとっ働きに行こうかというとき、まさに電球がきれるがごとく、ぱたっと動かなくなってしまったというのです。
あわてた母は、とにかく救急車を呼び、車中や病院に着いてからも蘇生術を施して頂き、息を吹き返す様子も少しあったものの、結局意識を取り戻すことはありませんでした。
臨終後、CTスキャンで全身を調べたのだそうですが、死因として特定できるものは一切見つけられず、自然死という診断だったそうです。
介護など、家族の手を煩わせることもなく、あっさりと逝ってしまったわけですが、こんな死に方いいもんだなぁと思わせられました。
弔問にこられた方々も、「大往生」という言葉を口にされておりましたが、私もまさにそうだと思いました。
以前、
<命>というタイトルで、父が亡くなった際にも書かせて頂きましたが、命とはほんとうに不思議なものだということを改めて感じさせられました。まさしく生とは、能動的なもの以上に受動的なものであるということ、生かされて生きているのだということ。
人間誰しもいずれは死ぬということは分かりきっていることでありますが、そのことをしょっちゅう意識し、どんな臨終を迎えようかなどと考えながら生きている人はほとんどいないのではないでしょうか。逆に、余命幾日などと宣言されている人ほど、生きている今の一瞬一瞬を大事にされるという話もよく聞きますし、その通りだと思います。
生かされている今に感謝し、自分に備わった、いわば人間としての「機能」を100%発揮する生き方をしなければならないと思わせられた祖母の死でありました。

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