またもや出張続きでたいへん間が空いてしまいました。で、いつのまにか、王位戦は深浦王位が3連敗の後4連勝して防衛、王座戦は羽生王座が3連勝で防衛と、ひとまず安泰のような結果に終わりました。
さて、最近また印象に残った話を聞いたのでメモっておきます。
人間が生きる上で大事なことを、漢字一文字で表現するとしたらどんな文字が挙げられるかということで、それは「畏(おそれ)」という文字であるというのです。神仏に対する畏敬などという言葉の畏という字です。この畏ということを忘れると、人間はどんどん暴走してしまうというのです。
聞いた話を一言でまとめると以上のようなことですが、畏を忘れて暴走してしまっているというのは、まさに今この混迷した世の中の状態をいっているようにも感じられます。
歴史を振り返ると、エジプト文明は3,000年以上続きましたが、それは太陽を神と崇め、太陽歴を確立させ、太陽を中心に皆が協力し合って生活していたからなのだそうです。そのエジプトを滅ぼした主な王朝はマムルーク朝だそうですが、マムルーク朝は人間中心、実力主義の思想で発展し、君主も世襲ではなく実力者が就いていました。しかし、そのマムルーク朝が栄えたのは300年にも満たない短い期間であり、やがて、より強大なオスマン帝国に滅ぼされることになります。
しかし、そのオスマン帝国も第一次世界大戦で敗戦し、約700年続いた帝国も、現在はトルコ共和国に集約されているわけです。
実力主義を完全に否定するわけではありませんが、どうも神仏を敬う心というものが根底にないと、人間は驕りがでてきて、そうなると怠け心が生じ、向上心が薄れ、やることが保守的になったり、形骸化してしまうようなことに陥りやすくなるように感じます。
神仏を敬う心とか、目にみえない現象を畏れる(恐れる)気持ちは誰しも元々もっているものであり、忘れてならない心であるように思います。
仏教では、すべての現象は、その人を困らせたり、苦しめたりするのでなく、あくまでその人を成長させたいために仏が出してくださるという受け止め方が大事と説いています。現実には困ったり苦しんだりすることは無くならないわけですが、今現在苦しんでいても、そのことをクリアしたとき、苦しんでいたことが有難い現象だったと気づけたという経験を大勢の人が持っていると思います。
神仏に対する畏敬の念を忘れないようにしたいと思います。

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COMMENT
無題
思えば、自己中心的な発想の時って、神仏を忘れてますね。気をつけたいです。
無題
コメントありがとうございます。神仏はもちろん、全てに生かされている感謝を忘れないためにも、神仏を敬う日々の行ないが大事ですね。