今月は盂蘭盆の月。一般的には旧暦の8月13日頃をお盆として、お墓参りなどが行なわれますが、元々は7月15日を盂蘭盆といい、古来より、亡くなった先祖の御霊を供養する行事が執り行われます。
以前にも書きましたが、盂蘭盆(お盆)は、お釈迦さまの二番弟子である目連(もくれん)が、神通力で霊界を見たところ、亡くなった母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることを知り、お釈迦さまに、母を救うにはどうしたらよいか指導を請うたところ、7月15日に大勢の僧を真心から供養しなさいと教えられ、その結果、母親を餓鬼道から救うことができたという話に由来しています。
先祖の供養ということに思いが至るこの時期に、ぜひ触れてみたいテーマがあります。それは、死後の世界があるかどうかということです。
誰にでもいつか死がおとずれ、自分の子どもや子孫から見たら、いつか自分も先祖になるわけですが、簡単にいうと「死んだらどこに行くの?」「先祖はどこにいるの?」ということです。
この問いの一つの回答になるかどうかはわかりませんが、面白いサイトをみつけたのでご参考のほど。↓
死後の世界信じる信じないは個人の自由ですが、要するに、「生きている間、悪いことはしないで、いいことをしましょう」ということを言いたいのだな、ということはすぐわかります。
さて、この安易な(?)結論に行く前に、よく「死後の世界を見てきた」という話をテレビや雑誌などで見たり聞いたりすることがありますが、これはおかしな話です。なぜなら、死とは人生一度きりのことであり、仮に死後の世界を見てきたといいながら今現在生きているなら、その人は死んでいないからです。なので、正確に言えば、それは「死後の世界」ではなく「仮死の世界」ということです。
あえてバッサリ切り捨てる言い方をすれば、臨死体験などとしてとりあげられている話の多くは、死にそうな体験をした人が、たんに夢を見ていただけということでしょう。もちろん、私は体験したことがありませんので全て否定はできませんが、こういう話に触れるときは、鵜呑みにせず、冷静な目で見る必要があるということです。
要するに、死後の世界が、有るということも無いということも証明不可能であるので、論じることすらムダなことと思ったほうがよさそうです。ただ、以前にも書いたことがあるとおり、生まれ変わりということも証明不可能ではありますが、来世もいい世の中に生まれ変わりたいと願って生きることはムダではないと思います。
いずれにしても、今を精一杯生きるということが一番大事なこと、ということですね。
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