久しぶりの更新です。今年も盂蘭盆の月を迎えました。
毎年同じことを書いておりますが、一般的には新暦の8月13日頃をお盆として、お墓参りなどが行なわれますが、元々は7月15日を盂蘭盆といい、古来より、亡くなった先祖の御霊を供養する行事が執り行われます。
盂蘭盆(お盆)は、お釈迦さまの二番弟子である目連(もくれん)が、神通力で霊界を覗いたところ、亡くなった母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることを知り、お釈迦さまに、母を救うにはどうしたらよいか指導を請うたところ、7月15日に大勢の僧を真心から供養すると共に、僧達と一緒に母が救われるよう供養しなさいと示され、その通り実行した結果、母親を餓鬼道から救うことができたという話に由来しています。
この時期に、いわば集中的に先祖供養をいたしましょう、というのが現在まで受け継がれてきている盂蘭盆でありますが、盂蘭盆だからというのでなく、先祖を供養することは大事だということは、たいていの人は分かり切っていることでありましょう。
さて、ではなぜ先祖を(というか、子供を亡くしておられる人もいるので、広義的には亡くなった人全般を)供養することが大事かということが一つの命題となります。
もちろん「迷わず成仏して頂きたい」という願いで供養することも大事でありますが、それだと、どれだけ供養したらうちの先祖は成仏してくださるんだろう、という発想も起こり得ます。
結論をいえば「感謝の供養をする」ということが目的であり手段であります。特に親に対しては、たとえどんなに酷い親であったとしても、この私に命を授けてくださったことは紛れもない事実です。そのことに本当に感謝ができれば、亡くなった人に対してだけでなく、生きている人やモノ、自然、全てに対して「本当の」感謝ができるようになるわけであり、仏教はそういうことを説いています。
つまり、本記事のタイトル「何のために生きる?」という問いには、命を頂いたことに感謝し、感謝の行ないをするためということが普遍的な回答になります。感謝の行ないとは、自分の、そして皆の命を尊重する、光らせるということになりましょう。
昨今の無差別殺人、怨恨殺人、あるいは自殺など、突き詰めれば、自分自身の命の尊さ、有り難さを忘れてしまうという最悪の病気がなせる業といえます。
命を頂いたことの尊さ、有り難さをねんじゅう意識し、感謝の念で生きるという生き方を全ての人に心底から理解してもらわなければならないと感じます。
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