久しぶりに小生のメインページ(といっても、こちらのブログのほうがすっかりメインっぽくなりましたが;)の仏教のページを更新しました。↓
この仏教のページに、新たに「
六波羅蜜(ろくはらみつ)」をアップしたのですが、この六波羅蜜の一番目にあるのが「布施」というものでありまして、改めて気付かされたことがありました。(この六波羅蜜および布施の詳細については、ぜひ当該ページをお読み頂けたら幸いです)
それは、仏教ではよく煩悩を滅するということがいわれますが、現実には煩悩を完全に消滅させることは不可能です。このことは
以前にも書いたことがありますが、五感あるいは六感が備わっている肉体がある以上、つまり、生きている以上は、三大欲望(食欲、性欲、睡眠欲)を始めとして、さまざまな欲望があって当然であり、それをなくそうなどと努力することすら無駄なことであることは説明の余地もありません。
ならば、欲望つまり煩悩を滅するとはどういうことかといえば、煩悩を認め、それを自由自在に制御できるようになること、平たくいえば理性的・精神的にオトナになること、ということがいえると思います。
では、どうやったらそんなオトナになれるのかというと、それを説いているのが布施の精神であります。見返りを求めない奉仕の心でいろいろな行ないをすることです。
具体的には、街角や駅前で街頭募金に立っている学生がいたら、百円でも十円でも募金箱に入れてあげる、電車の中でお年寄りが立っていたら席を譲ってあげる、通勤や通学途中、ごみが落ちていたら拾ってあげる、などなど。
しかし、これらの行ないも、実際その場面に出くわしたら勇気が要りますよね。なぜかというと、人目が気になるからです。ならば、人目を気にせずにできる布施からやってみるというのはいかがでしょうか。それは「祈る」ということです。
街頭募金に立っている学生がいたら、心の中で「ご苦労さまだなぁ」と思う、そうすると、自分の近くを歩いていた見知らぬ誰かが募金箱にお金を入れてあげたりします。電車の中でお年寄りが立っていたら「かわいそうだなぁ」と思う、そうすると隣の席のお兄さんが席を立って譲ってあげたりします。通勤や通学途中、ごみが落ちていたら「誰か拾ってくれないかなぁ」と思う。そうするとどこからともなくカラスが舞い降りてきて・・・って、そんなことはないか(^^;
こんな話があります。
あるお殿様が、あるお坊さんに
『「これぞ仏教」ということを教えて頂きたい。』
と願い出ました。お坊さんは言いました。
『悪い行ないをせず、善い行ないをすることによって、自分の心を清めていくこと。これぞ仏教。』
お殿様は言いました。
『そんなことは、年端もいかぬ子供でも知っていることではないか』
それに対し、お坊さんはこう言いました。
『年端もいかぬ子供が知っていることでも、実際に行なうとなると、八十過ぎのご隠居さんでも難しいのじゃ』
どんな簡単なことでも、実際に行なうことの難しさをお説教されたわけです。できることから実践するという気持ちを持ち続けたいものです。
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突然の書込み失礼致しました。