あらゆる宗教には、崇拝(信仰)の対象となるモノがある。天地創造の主から、果てはイワシの頭まで、それはそれは極めて多種多様であるが、それら多種多様な崇拝対象の元をたどり突き詰めていくと、とりあえず2つに絞り込むことができる。それがつまり、神と仏ということである。
まず、神ということについて。一口に神といっても、さまざまな種類があり、レベルがある。先史の昔から、洋の東西を問わず、人々は天地自然動植物に神が宿っていると考え、あがめてきた。
ここでいう神は、正確には精霊とか天使と呼ばれるものであり、後述する神をあえて大神と呼ぶとしたら、この精霊はレベルが低いというか、大神に支配されている、もしくは大神の手足となってはたらく小神であるといえる。
人間としての文化が発達してくると、殿様や将軍や天皇を神として祀って神社が建てられたりするが、これすらも小神の部類である。
あるいは、日本においては、それらよりレベルが高いと思われる稲荷神、八幡神、天照大神(アマテラスオオミカミ)でさえも小神の部類であり、特に八幡神は、仏教においては仏法守護神として位置づけられている。(仏法守護神という意味では、他に七面大明神、鬼子母神、帝釈天、毘沙門天などがあり、それぞれ祀られている神社もある。)
また、諸外国においても、砂漠の気候、熱帯雨林の気候のそれぞれの土地における土着信仰においてあがめている神は小神の部類といえる。(ここで、小神といってこれらの神や神社を低く見たり、さげすんだりしているのではないことを断っておく。)
さて、では我々人間を含めた生きとし生けるものや、それらの小神をも支配し、頂点に君臨する大神とはどのようなものか。
それは、いわゆる天地創造の主(と考えられる存在)のことであり、ユダヤ教やキリスト教のヤハウェ(もしくはヤーベ)神、イスラム教(正しくはイスラーム)のアッラー神がそれである。さらに、ヤハウェ神とアッラー神は別物かというと、どうやらそれは全く同一のものであり、俗に唯一神(ゆいいつしん)と呼ばれている。
こちらのサイトに分かりやすい説明があったので参照願いたい。
この唯一神は、天地=宇宙を造った創造主であり、我々を教え導いて下さっている絶対的で偉大なる主であるということが聖書やコーランにも書かれているそうだが、この創造主が、いつから居たのか、どこから来たのか、なぜ宇宙を造ったのかということまでは詳しく説かれておらず、その点があいまいである。
(話がそれるが、宇宙がビッグバンという大爆発から始まったという考え方は、聖書に書かれている天地創造の物語が元になっているようであり、その科学的根拠は後付けのようである。したがって、今の宇宙科学でも、ビッグバン以前に何があったのか、なぜビッグバンが起こったのかは全く解明できていない。ビッグバンについて興味がある方は、併せてこちらも参照頂きたい。)一方、仏教でいう仏とは、如来(にょらい)と呼ばれるものがそれである。大日如来、阿弥陀如来、薬師如来、釈迦如来などなど。
これら如来は、久遠の本仏のはたらきの一つの表れにすぎず、久遠の本仏とは、無限の過去から無限の未来まで(無始無終)、ありとあらゆるモノを生かしている存在であると説かれており、さらにいえば、我々自身の中にも仏=仏性が存在し、それに気付きさえすれば、我々も仏になれると説かれている。
この点は、信仰観の部分なので今回はこのへんで留めておくが、要するに、信仰観を抜きで考えると、唯一絶対の創造主である神と、無始無終の仏(=久遠の本仏)とは、全く同じものであると考えられる。
つまり、人それぞれの信仰観の違いによって、さまざまな宗教が生じているだけのことであり、我々が全身全霊を預けることができる真に尊い存在は一つであると考えられる。
かといって、さまざまな宗教が生じることが悪いことでなく、むしろTPOとしてたくさんの宗教が存在することによって、より多くの人が救われることにつながるとも考えられるのだが、宗教の必要性もしくは善悪ということについては、今後さらに研鑽していきたいと思う。
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