今まで「救われとは」「幸せとは」ということをテーマにしたとき、自分自身の尊さ(仏性)に気付くことだということを繰り返し書いてきた。
もちろん、「救われたい」「幸せになりたい」と願って生きることは最も重要かつ基本であることに違いない。
さて、そうなると、いつになったら「救われる」のか、「幸せ」になれるのか、つまり、あとどれだけ生きたら自分の尊さ(仏性)に気付けるのか、という疑問も生じてきそうである。
実際、私はそういう疑問を持っていたのだが、いやはや、このたび、その疑問を晴らしてくれるイイ話を聞くことができた。
結論を言うと、私たちはすでに「救われている」し、「幸せ」なのである。
なぜかといえば、今こうして生きて、いや、生かされているからである。生かされていることは、すなわち、「救われている」ということなのである。
明日死ぬかもしれない重病を患っていようとも、今この瞬間生かされていることが救われているのである。いや、今世の(肉体としての)命が終わったとしても、来世があるから救われているのである。
つまり、我々は既に、永遠に、救われの中に居るのである。
・・・とまあ、かなり極端な、いわゆる「悟りの境地」的なカンジを受けますよね。
しかし、以上のことをハッキリ意識して(信じて)生きることができるとしたら、それこそ、救われ、幸せの中で生きられる、ということではないでしょうか。
だとしても、現実には、次から次へといろんな問題や困難が出てくるのが人生ではありますが、既に救われているのだから、安心して悩んでいいし、苦しんでいいということになるワケです。
悩みも苦しみも、大きな目で見れば、「救われ」「幸せ」の現象の一つである、ということになります。
悩んでいる、苦しんでいる最中は、とてもそんな心の余裕は持てないかもしれませんが、時間が経ち、ほとぼりが冷めたとき、あのときの苦労があったからこそ、今こうして安らかでいられるのだなぁ、と思えるときがくることもあると思います。
だから、安心して悩んでいいんです。
・・・とまあ、そんな心境になりたいもんですね。
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